3月9日  受難節第1主日礼拝
聖  書  ヨハネによる福音書 13: 1 〜 20
説  教  「弟子の足を洗う主イエス」 小峰 擁 牧師
讃 美 歌  298 196 393  
 
「キリストの前に」という讃美歌のことを思い出します。ときどき礼拝の中で歌われる讃美歌です。この讃美歌の歌詞はその曲も含め、キリストの教会の信仰のありかと、そこに集うわたしたちキリストを信ずる者、キリスト者(しゃ)、クリスチャンの内心(こころ)、信仰者の志し(こころざし)をとても良く示し、教えているのではないでしょうか。
「キリストの前に よろこび集まり、キリストの愛を 感謝して歌おう。
キリストにならい 誰をもへだてず たがいに励まし たがいに仕えよう。
キリストのために 自分を捧(ささ)げて、 キリストの道を 助け合い進もう。
キリストは弟子の 足さえ洗われ、 みずから仕えて 模範となられた。……」
(『讃美歌21』543番1,2節)
きょうのみことばにありますように、主(しゅ)イエスさまは弟子たちの足を洗われるのです。
(文語訳聖書ではこのときのありさまをいきいきと次のように訳しています。)
「過越(すぎこし)のまつりの前に、イエスこの世を去りて父に往(ゆ)くべき己(おの)が時の来(きた)れるを知り、世に在(あ)る己(おのれ)の者を愛して極(きわみ)まで之(これ)を愛し給へ(たまえ)り。……イエス父が萬物(ばんもつ)をおのが手にゆだね給ひしことと、己(おのれ)の神より出(い)でて神に到(いた)ることとを知り、夕餐(ゆうげ)より起(た)ちて上衣(うわぎ)をぬぎ、手巾(てぬぐい)をとりて腰にまとひ、尋(つい)で盥(たらい)に水を入れて、弟子たちの足をあらひ、纏(まと)ひたる手巾にてこれを拭(ぬぐ)ひはじめ給ふ(たもう)。……」(文語訳、ヨハネ13:1,3-5)
この世を去られる時が近づきましたので、夕食の時に、主イエスさまは弟子たちの足を洗われます。当時、食前に足を洗うという習慣があり、僕(しもべ)が、その仕事をしていたのです。主イエスさまは、みずから僕(しもべ)のように、上着を脱いで、手ぬぐいを腰にまとい、たらいに水を入れて、次々に弟子たちの足をあらって、その足をぬぐってゆかれました。弟子たちはいつも上ばかりを見て、誰がいちばん偉いのかと互いに競いあっていましたが、主イエスさまはこのような弟子たちの救いのために、いちばん低くなってくださいました。
そうです。主イエスさまは、いまもなお、その御手(みて)をのべて、わたしたちの足を洗おうとされます。わたしたちの人生の旅路のたくさんの汚れや罪を主イエスさまは洗おうと御手をのべてくださいます。わたしたちの罪を主イエスさまみずからが低くなって洗ってくださいます。主イエスさまは僕(しもべ)のように膝をかがめて、わたしたちのいちばんよごれたところを洗ってくださるのです。
主が十字架を負われたのはわたしたちの重荷を負うためにほかなりません。主は愛し抜かれたからにほかなりません。主は十字架のとうとい血潮をもってわたしたちの罪の汚れを洗って清くしてくださったのです。わたしたちの罪をすべてゆるしてくださったのです。
日本基督教団郡山教会
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