8月30日 主日礼拝

今週の聖句

ルカによる福音書15章24節

この息子は、死んでいたのに生き返り、いなく
なっていたのに見つかったからだ。

 

 

聖霊降臨節第15主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌 讃美歌21-58

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読

ルカによる福音書15:11~32新約聖書P.139-140)

15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
15:25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
15:26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
15:27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
15:28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
15:31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
15:32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

祈祷

讃美歌 讃美歌21-197

説教 「帰って来た息子」小峰 擁 牧師

メッセージ(牧師説教要旨)

「蕩児帰還」という文字の印が押された葉書をいただいたことがあります。福島教会からのお便りでした。きょうのルカによる福音書15章の放蕩息子のところを四文字熟語にしたものです。悔い改め、立ち帰りの喜びが天にあることをあらわしたものです。短い言葉ながらこれを見ていると、きょうの聖書の放蕩息子のところについていろいろ考えさせられます。レンブラントという画家も、この放蕩息子を題材にした油彩画やデッサンをたくさん書いています。特にこの放蕩息子の帰還を喜ぶ父親の腕のなかに抱かれ、悔いくずおれている息子の姿を描いたものが何枚もあります。どれも感動的な父と子の出会いの瞬間が印象深く描かれています。このルカによる福音書15章、イエスさまの放蕩息子の譬えは福音の中の福音と言ってもいい所です。放蕩息子である弟の帰還を描いた前半のところと、弟の帰還をすなおによろこべない兄を描いた後半のところに分かれます。前半と後半の二つの譬えのようですが、実は一つの譬えになっているように思われます。イエスさまは、この二人の人物のあり方を比較させながら、わたしたちに神さまへの信仰のあり方について教えておられます。正直、わたしたちは内心、この弟の物語にも、また兄の方の物語にも共感させられのではないでしょうか。弟の気持ちもよく分かるのです。身上(しんしょう)を食いつぶして、何もかも失って、悔い改めて帰ってくるこの息子にわたしたちは自分の姿を見ます。わたしたちはいつも自分が帰れる場所を求めているのではないでしょうか。ですから、悔い改め、立ち帰りの喜びが天にあるというところにわたしたちは感動し、わたしたちの心に迫ってまいります。もう一方、兄の気持ちもよく分かるのではないでしょうか。どうもその兄の姿が自分の心の姿や自分の気持ちのようにも思えてきてしまうのではないでしょうか。いままでいっしょうけんめいに生きてきたのです。弟のほうはあまりにも虫がよすぎます。弟を恨めしく思う、弟を嫉妬する兄の気持ちもよくわかるのではないでしょうか。

それにしても、ルカ福音書15章の三つの譬えを用いてイエスさまは、わたしたちにもよく分かるようなしかたで、わたしたちの罪の悔い改めについて、救いについて、神さまの喜びが天にあるということを教えてくださっています。それにしても、天の父なる神さまの救いの喜びの大きさは、何と大きいことでしょうか。神さまの救いの喜びは空よりも高く、海よりも深いのです。神さまの救いの喜び、すばらしさがきょうのこのイエスさまの譬えばなしの中に述べられています。

そして、きょうの放蕩息子の譬え中にもイエスさまの十字架の救いが秘められているのではないでしょうか。放蕩息子が父のもとに帰ったとき、父は無条件でこの子の罪をゆるし、受け入れています。同じように、天の父なる神さまは、独り子イエスさまの十字架の死によって、わたしたちの罪をすっかりゆるしてくださっています。神さまの救いのご計画のすばらしさをきょうのイエスさまのおことばを通して改めて知らされ感謝であります。

2015年8月30日郡山教会主日礼拝説教

祈祷

讃美歌 讃美歌21-493

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1

頌栄 讃美歌21-27

祝祷

後奏

報告

 

次回礼拝予告

9月6日 聖霊降臨節第16主日礼拝

説教 「小事に忠実な者」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ルカによる福音書 16:1~13(新約聖書P.140)

 

讃美歌 讃美歌21-7, 21-280、21-532,21-81、です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 9月3日(木)10:30~

夕礼拝・聖書研究 休会(9月6日(日)19:30~にもたれます)

 

 

礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。

受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

 

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礼拝・定例集会案内

主日礼拝式
・毎週日曜日 10時30分〜 

夕礼拝
・月の第1週のみ日曜日の19:30〜
・第2週以降は毎週木曜日 19時30分〜

聖書研究・祈祷会
・毎週木曜日 10時30分〜

毎月第1週 聖餐式
・クリスマス礼拝
・イースター礼拝
・ペンテコステ礼拝
・毎月第1週の礼拝
・毎月第1週の夕礼拝時

毎月第2週
・誕生会
・壮年会
・婦人会
・白百合会
・ヨナの会(青年会)

毎月第4週
・石川伝道所礼拝

聖書について

郡山教会並びに、このホームページで使用する聖書は、一般財団法人日本聖書協会(JBS)新共同訳を用いています。プロテスタント、カトリック両派の教理上の違いや見解の相違を越えて、キリストを信じる者としての根本的な一致の認識に基づいて両教会の共同の作業として翻訳された新共同訳は、カトリック教会でも使用されています。

聖書 新共同訳
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

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