2018年4月29日 主日礼拝

 復活節第5主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-11(感謝にみちて)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙4章1~12節 新約聖書P.278

  • では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。

    もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。

    聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。

    ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。

    しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。

    同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。

    「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、/幸いである。

    主から罪があると見なされない人は、/幸いである。」

    では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。

    どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。

    アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。

    更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。

祈祷

讃美歌 21-57(ガリラヤの風かおる丘で)

説教

2018年4月29日郡山教会主日礼拝説教

『アブラハムの信仰』<ローマの信徒への手紙4:1‐12>  小峰 擁

わたしたちは「アブラハム」という名を聴くと、いつしか讃美歌95番の「アブラハムの すえをとわに かえりみ……」という一節を心の中で思い浮かべてしまいます。あるいは思わず歌ってしまうのかもしれません。この讃美歌の続きは「……イスラエルを 忘れまさで 救いたもう うれしさ。」という言葉で締めくくられています(讃美歌95番5節)。救い主イエスさまを待ち望むよろこび、うれしさが自然とわたしたちの心の中にも伝わってくるようです。このように讃美歌の中には、主を待ち望む信仰、深い聖書的な意味がみごとに歌い込められています(ルカによる福音書1章のマリヤの讃歌、ザカリヤの歌など)。わたしたちは、この「アブラハムの すえをとわに かえりみ……」という一節を歌うとき、わたしたちもアブラハムのすえ、イスラエルとされていることに感謝せずにはおれません。わたしたちはもともとの血肉のイスラエルの民ではありませんが、神さまの恵み、愛によって、主イエス・キリストの十字架の愛、あがないによって、罪をゆるされて神の民イスラエルの一員とされてしまっているのです。

きょうの聖書において使徒パウロはわたしたちに向かってアブラハムの信仰について語りかけています。中心は「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」(ローマ4:3)というところです。

ここを読むわたしたちも「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」というところを「~は神を信じた。それが、彼の義と認められた」と読み替えてもいいのではないでしょうか。もちろん「~」のところにはわたしたちの名前が入ります。アブラハムの信仰とは神さまの恵みを信じる信仰です。わたしたち一人ひとりも神さまから、恵みによって「~は神を信じた。それが、彼の義と認められた」と招かれています。  神さまの約束を信ずるわたしたちの信仰が神さまによって義と認められたのです。

パウロはイスラエルの多くの先祖たちの中からどうしてアブラハムを選んだのでしょうか。アブラハムの代わりにヤコブやモーセたちを信仰の模範としては選ばなかったのです。それはヤコブやモーセたちですと、律法と割礼を知らない異邦人に信仰の模範を示すことができないからです。もちろんユダヤ人にも、さらに異邦人にも、信仰の模範を示すためにパウロはあえてアブラハムを選んだのです。旧約聖書、創世記の中で神さまがアブラハムに語りかけた大切なところを振り返ってみましょう(創世記12:1~3「祝福の源」、15:6「アブラハムは主を信じた」、17:9~11「契約と割礼」ほか)。

パウロは、アブラハムがわたしたちの父であるという信仰に立つユダヤ人に向かっても、さらに異邦人に向かっても、「アブラハムは信仰によって義とされた」ことを明らかにしたいのです。「ユダヤ人が自分の父として誇りにするアブラハムこそは、信仰のために義とされていたのである」(K.H.ワルケンホースト)ということです。パウロが説くアブラハムの信仰とは、つまりキリストを死人からよみがえらせた神さまを信ずる信仰です。わたしたちもこの信仰に堅く立って動かされることなく歩んで参りましょう。

 

祈祷

讃美歌 21-394(信仰をうけつぎ)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

 

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