2018年6月10日 主日礼拝 | 日本キリスト教団(日本基督教団)郡山教会公式サイト



2018年6月10日 主日礼拝

 聖霊降臨節第4主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-200(小さいひつじが)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙6章1~11節 新約聖書P.280~P.281

では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。

決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。

それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。

わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。

死んだ者は、罪から解放されています。

わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。

キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。

このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

 

○ 讃美歌 21-579(主を仰ぎ見れば)

 

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年6月10日郡山教会主日礼拝説教

『新しいいのち』<ローマの信徒への手紙6:1‐11>  小峰 擁

星野富弘さんの文章に、「あの時から、空が変わりました。 私は独りではなく、 空が、神さまが見ていてくれると 思うようになったのです。……」、「あなたに逢ってから 私は道の真ん中を 歩かなくなった 真ん中はあなた 私は少し横を 歩きます」(星野富弘『いのちより大切なもの』)とありました。どちらの文章も、星野富弘さんらしくとても印象的です。わたしたちの心もいつかこのようにさせられたいと思います。

前田護郎訳『新約聖書』ローマ書6章の冒頭は、「それならわれらは何といいましょう。恩恵(めぐみ)が増すために罪にとどまるべきですか。断じて否です。罪に対して死んだわれらが、どうしてその中に生きえましょう」(前田護郎訳、ローマ書6:1,2)ととても強い口調で翻訳されています。

いままでローマ書5章で使徒パウロはアダムとキリストを並べて説明していました。そうする中でイエス・キリストの優位を強調するのです。罪に義が勝利し、死に生が勝利するのです。パウロはいまここに罪と死の敗北を、義と生の勝利を宣言するのです。

5章20節では「しかし、罪が増すところ恩恵(めぐみ)が満ちあふれました」(前田訳、ローマ書5:20)と述べていました。罪から解放された者、解放される者が恩恵(めぐみ)の大きさを讃(たた)える言葉でした。パウロは3章8節にも同じような言い方をしていました。そこでも、前半でひとつの問いを提出しながら、後半ではこれをきびしく否定するのでした。ここ(ローマ書6章)でも、前半でひとつの問いを提出しつつ、後半では「断じて否です」と毅然とした口調で否定します。

ここの前田訳の「断じて否です」というところは、なぜかとても心惹かれるように思います。ある誘惑に対して、自分をたたいてでも、自分に言い聞かせるようとする調子がここにあるように思います。ときには、自分の心に、自分の魂にこのように語りかけることも、大切なのではないでしょうか。むしろ、わたしたちはここに信仰の心、信仰の心意気を感じさせられます。イエスさまを信ずる信仰によって志操、動かぬ心を与えられるのです。他の人に対してではありません。自分の心に対して、特に罪に誘惑されようとする自分の心に対して、このような信仰における操というか、志をもつことがわたしたちにとっても大切なのではないでしょうか。キリストに対するわたしたちの精いっぱいの応答、感謝かもしれません。このような意味でわたしたちの信仰の応答というか、心意気というものが大切かと思います。ローマ書6章1,2節から、キリストの使徒パウロの信仰の心、心意気を、息遣いのようなものを聴かされるように思うのです。

そして、ある人も同じように言っていますように、「キリストの死の中に自分を投げ込む」ような、そうした純な信仰の心をもって、ここのところを読みたいと思います。

いまを生きるわたしたちも、神さまの恵みによって、イエスさまの愛によって、純粋で素直な信仰の心、信仰の心意気を与えられたいと思います。

 

 

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-458(信仰こそ旅路を)

 

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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