2018年7月15日 主日礼拝

 聖霊降臨節第9主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-210(来る朝ごとに)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙7章13~25節 新約聖書P.283

それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。

わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。

わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。

そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。

わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。

「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、

わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

○ 讃美歌 21-451(くすしきみ恵み)

○ 祈祷

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年7月15日郡山教会主日礼拝説教

『わたしたちの主イェス・キリスト』<ローマの信徒への手紙7:13‐25>  小峰 擁

讃美歌の第二編に、原曲はゴスペルの「アメージング グレース」、「われをもすくい」という曲があります(讃美歌第二編167番、讃美歌21‐451「くすしきみ恵み」も参照)。

「 われをもすくいし くしきめぐみ、 まよいし身もいま たちかえりぬ。

…… わが主のみちかい とわにたかし、 主こそわが盾 わがいのちぞ。

この身はおとろえ、 世を去るとき、 よろこびあふるる み国に生きん。」

(讃美歌第二編167番、原 恵訳)

特に「主こそわが盾」というのは、「恐れるな、アブラ(ハ)ムよ、わたしはあなたの盾(たて)である。……」(創世記15:1)という神さまの約束のみ言葉によるものです。神さまの契約、神さまの守りと導きをあらわしています。

きょうのローマの信徒への手紙7章13節以下は前田護郎訳『新約聖書』によりますと、「みじめな人間」という見出しになっています。この部分は次のように始まります。

「それなら、善がわたしにとっては死になったのでしょうか。断じて否(いな)です。罪が罪として現れるために善によってわたしに死をもたらしたのです。これは罪が掟(おきて)によっていっそう罪らしくなるためです。」(前田護郎訳、ローマ書7:13)。

このことの原因は、神さまの聖なる律法に問題があるというのではなくて、むしろこれを与えられる側の人間の問題であるのではないでしょうか。わたしたち人間の根源的な罪の問題です。ここに人間の罪の現実がいいあらわされているのではないでしょうか。

ここにわたしたち人間の魂の嘆き、叫び声、わたしたちの悩みの深い根があります。

「わたしは何とみじめな人間でしょう。だれがわたしをこの死の体から救ってくれましょう。」(同上7:24)。

なんとみじめな人間の叫び声でしょうか。このような叫び声は、また、わたしたちも、ときどき、あるいはいつも叫んでいるような叫び声とも共通するのではないでしょうか。

わたしたちの魂も使徒パウロと同じく心の中で呻き、嘆き、神さまに向かい叫びます。

わたしたちの苦しみと悩みの根、人間の根源的な問題性は、人間の罪の中にあります。

ところが、神さまは、主イエスさまは、このようなたくさんの深刻な罪の問題の中で悩み、苦しみ、嘆くわたしたちのことを愛し、お見捨てになりませんでした。わたしたちのことを愛し、救ってくださいました。

先程のゴスペルの「アメージング グレース(驚くべき恵み)」、「われをもすくい」という曲もこのような深い深い神さまの愛、主イエスさまの愛と救いを歌ったものです。

このようにローマ書7章はまるで真っ暗なトンネルの中を、人間の罪という漆黒(しっこく)の闇夜を手探りで這(は)いながら進んでいるようなところです。

しかし、ここに神さまの救いの光、主イエスさまの十字架の光が差し込みます。苦しみの夜は明けます。玉木愛子さんの句「明け易し眞夜の祈りと思ひしに」のようです。神さまが、主イエスさまが、救ってくださいます。暗い夜を明けさせてくださいます。

○ 讃美歌 21-451(くすしきみ恵み)

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-402(いともとうとき)

 

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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