2019年4月21日主日礼拝 

 イースター(復活日)礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-326(地よ、声たかく)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ヨハネによる福音書20:1~18

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。

二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。

身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。

続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。

イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。

それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。

イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

それから、この弟子たちは家に帰って行った。

マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、

イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。

天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」

こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。

イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」

マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

 

○ 讃美歌 21-327(すべての民よ、よろこべ)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年4月21日郡山教会主日礼拝説教

『主の復活』<ヨハネによる福音書20:1‐18> 小峰 擁

主の復活の日イースターの朝(あした)、マグダラのマリアは愛する主イエスさまを失い、途方に暮れています。この人は愛する者が葬られたお墓に心を奪われています。

この人の姿はわたしたちの魂の姿そのものではないでしょうか。

イエスさまのお墓の前にマグダラのマリアは悲しみたたずみます。そのとき「婦人よ、なぜ泣いているのか」とのみ声が聴(き)こえてきたのです。このように主の天使も、主イエスさまも、彼女に尋ねられます。

そのとき、マリアは主の十字架の死のあまりの悲しみのためにうちしおれ、すっかり心を奪われていたのでありましょう。

わたしたちも、マリアの涙と決して無縁ではありません。他人事ではありません。わたしたちも愛する者が死んだとき、同じようにただ悲しみ泣く者でありましょう。何を尋ねられても、みんなうわのそらのような状態かもしれません。わたしたちはときどき、死がわたしたちの人生の終わりであり、すべての終わりのように思えてしまいます。死によってすべてが失われ、消えてゆかざるを得ないと心の中で思ってしまうのです。

しかし、十字架の主、復活の主イエスさまを信ずるわたしたちには死は終わりではありません。すなわち、「キリストが聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、……。」(コリント一15:3,4)。これらのことがマリアに、そしてわたしたちにも、明らかになるのです。

「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(コリント一15:20)。このことが明らかになるのです。マリアと、そしてわたしたちに。 ですから、死がどれだけ現実的であっても、わたしたちの魂は「死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(コリント一15:55)と叫ぶことができます。主イエス・キリストの復活のゆえにです。

主イエスさまがお墓で悲しみ泣くマリアに現われたとき、マグダラのマリアは主のご遺体を探して「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのかわたしたちには分かりません。」と嘆くとき、そのとき復活の主イエスさまがマリアの後ろのほうからやさしく呼びかけてくださいます。「マリア」とその名を呼んでくださいます。マリアは思わず、「ラボニ」、先生、わたしの先生とイエスさまのみ声に答えてしまいます。そのときマリアははっきりとイエスさまだと分かったのでした。

復活の主イエスさまはマリアにそうしたようにわたしたちにもそうしてくださいます。わたしたちの思う方向、願うようにではありません。わたしたちの思いを超えて、復活のイエスさまの方からわたしたちに近づいてくださいます。そして復活のイエスさまは「安かれ」、「平和があなたがたにあるように」と語りかけ、宣言してくださいます。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-333(主の復活、ハレルヤ)

○ 聖餐式

○ 讃美歌 21-78(わが主よ、ここに)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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郡山教会並びに、このホームページで使用する聖書は、一般財団法人日本聖書協会(JBS)新共同訳を用いています。プロテスタント、カトリック両派の教理上の違いや見解の相違を越えて、キリストを信じる者としての根本的な一致の認識に基づいて両教会の共同の作業として翻訳された新共同訳は、カトリック教会でも使用されています。

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