2019年11月10日主日礼拝 

 降誕前第7主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-56(主よ、いのちのパンをさき)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 コリントの信徒への手紙一 5:1~13   P304-305

現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。

それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。

わたしは体では離れていても霊ではそこにいて、現に居合わせた者のように、そんなことをした者を既に裁いてしまっています。

つまり、わたしたちの主イエスの名により、わたしたちの主イエスの力をもって、あなたがたとわたしの霊が集まり、

このような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それは主の日に彼の霊が救われるためです。

あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。

いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。

だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。

わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、

その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。

わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。

外部の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。

外部の人々は神がお裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」

○ 祈祷

○ 讃美歌  21-391(キリストよ、救いの神)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年11月10日郡山教会主日礼拝説教

『純粋で真実なパンをもって』 小峰 擁 牧師  コリントの信徒への手紙一 5:1~13

中央公論社「世界の名著」のシリーズに『聖書』の巻があります。旧約聖書は中沢洽樹先生の訳、新約聖書は前田護郎先生の訳です。いずれも聖書のいくつかの書物の翻訳、抄訳になります。巻頭には初めての方にも分かりやすいように入門的な文章「聖書の思想と歴史」があります。これも前田護郎先生が担当しておられます。特に前田護郎先生の若き日の「聖書との出会い」の思い出を綴った「『さいわい』のありか」という文章

はとてもわたしたちの心に残る文章です。「……とにかく『新約聖書』を一冊買って来て、夢中で読みました。いつも食前に黙祷する母の態度が、幼いころからわたしの心のどこかに深く入っていたのかもしれません。聖書はよくわからないところがありましたが、何か魅せられたようにページを追っていきました。

「さいわいなのは 霊に貧しい人々、  天国は彼らのものだから。

さいわいなのは 悲しむ人々     彼らは慰められようから。

さいわいなのは くだかれた人々、  彼らは地を継ごうから……」

(マタイ福音書5章3節以下参照)。

この「さいわい」のところへ行きますと、それが何だかわたしのために書かれてあるように見えました。…(中略)…山上の垂訓に「右の頬を打つものには、ほかの頬をも」とあるのは本当にそうだと同級生に言いましたら、校庭で頬を打たれました。その時じっとしていたことを覚えています。……」(前田護郎「聖書の思想と歴史」)。

何度ここの話を読んでも、何かとてもわたしたちの心の中に残ります。顔をあからめてじっとたたずむ若き日の前田護郎先生の姿が想像されます。それはかつてのわたしたちの姿、思い出ともどこか重なるようにさえ思えてくるから不思議です。また今を生きるわたしたちの姿ともやはりかなり重なってくるように思えてくるのです。

さて、きょうの第一コリント書5章1節以下はわたしたちにとってもあまり聞きよい話ではなく、とても聞きづらい内容のことがらであるかもしれません(5章1‐5節参照)。

そして6節以下も「あなた方の思い上がりはよくありません」(6節)と古いパン種と種なしパンの話によって「思いあがり」への誡(いまし)めが続きます(6‐8節参照)。

このようにパウロはコリントの信徒たちの「思いあがり」の具体的実例をあげながらここでいましめています。わたしたちはここをどのように読んだらよいのでしょうか。

わたしは不品行を避けるということはキリストに結ばれた者としてもちろんですが、

それでもなお、むしろそれだからこそ、主イエスさまの愛敵の心、敵をも愛する精神をわたしたちは忘れてはならないのだと思っています。

わたしたちの心の中に、わたしたちの生の現実のさ中に、主イエスさまが入ってきてくださいます。罪ある者のために十字架につきたもう主イエスさまの十字架の愛がわたしたちの心に思いだされます。救い主イエスさまがわたしたちの中に入ってこられます。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-533(どんなときでも)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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郡山教会並びに、このホームページで使用する聖書は、一般財団法人日本聖書協会(JBS)新共同訳を用いています。プロテスタント、カトリック両派の教理上の違いや見解の相違を越えて、キリストを信じる者としての根本的な一致の認識に基づいて両教会の共同の作業として翻訳された新共同訳は、カトリック教会でも使用されています。

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