2019年11月17日主日礼拝 

 降誕前第6主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-17(聖なる主の美しさと)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 コリントの信徒への手紙一 6:1~11   P305-306

あなたがたの間で、一人が仲間の者と争いを起こしたとき、聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです。

あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。

わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを、知らないのですか。まして、日常の生活にかかわる事は言うまでもありません。

それなのに、あなたがたは、日常の生活にかかわる争いが起きると、教会では疎んじられている人たちを裁判官の席に着かせるのですか。

あなたがたを恥じ入らせるために、わたしは言っています。あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか。

兄弟が兄弟を訴えるのですか。しかも信仰のない人々の前で。

そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。

それどころか、あなたがたは不義を行い、奪い取っています。しかも、兄弟たちに対してそういうことをしている。

正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、

泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。

あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌  21-404(あまつましみず)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年11月17日郡山教会主日礼拝説教

『主イェス・キリストの名によって』小峰 擁 牧師

コリントの信徒への手紙一 6:1~11

先日、わたしは『なぜなぜイエスさまは』という曲を久しぶりに思い出しました。夜なかなか眠れずに困っていたときに、なぜかふと遠い昔の記憶の中からこの歌詞や曲が思い浮かんできたのでした。1970年代頃の有名なゴスペル・フォークの曲の一つです。

「なぜなぜイエスさまは 十字架の道を歩まれた みむねのままのご生涯 たどってはじめて知りました 罪人まねく主の愛を たどってはじめて知りました…………主よ主よイエスきみよ 十字架のもとにひざまずき 罪をあがなう傷あとに さわってはじめて知りました つみゆるされたよろこびを さわってはじめて知りました」(山内修一『友よ歌おう』より)。

この歌をわたしはだいぶ長い間、歌ったことはありませんでした。けれども、不思議なもので、だいたいは思い出すことができました。

むかし、この歌をみんなでよく歌いました。またときどきひとりでも歌っていました。

わたしたちにはみんなそれぞれに懐かしい心の歌があるのだと思います。懐かしい民謡や童謡や唱歌かもしれません。あるいは讃美歌などの信仰の歌かもしれません。わたしたちの信仰にとってこのような信仰の歌はとても大切なのではないかと思うのです。

さて、コリントの信徒への手紙一6章1節以下には、使徒パウロたちの祈りと労苦によってうまれたばかりのコリントの教会の信徒たちの信仰の問題点がはっきりと言い表わされているように思われます。それは信徒間の争いをこの世の裁判官に訴える問題などに典型的に表れているというのです。それをめぐり2,3節では聖なる者たちの裁く力について言及されます。また、4,5,6節ではコリントの信徒たちの実際の生活の中でのさまざまな問題点があげられます。さらに7,8,9、10節では不品行のリストのようなものが加えられます。そのひとつひとつはあまり聞きよくないものばかりです。

しかし、ここで注目したいのは11節の「あなたがたの中にはそのような者もいました」というところです。あなたがたの中には確かそのような者もいたのだというのです。このようなことは当たり前のようですが、やはり当たり前ではないのだと思います。ここを読むと、なぜかわたしたちはほっとするのではないでしょうか。そのような者でさえ、キリストの教会の中にいたのです。ある意味ではそのような者であるからこそ、キリストの教会があるのです。みんなそれぞれにキリストの十字架のあがないによって罪をゆるされた人々の群れであるのです。この罪は神さまや隣人に対する罪なのです。とても他人事とは言えません。神さまのみ前に、隣人の前にわたしたちは罪がないとは言えません。ひとりひとりが胸を叩く者であるのです。ここで大切なのは、わたしたちはかつて確かにそのような者でありましたが、「しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています」(11節後半)という点です。ここにキリストの十字架の愛、キリストの十字架の救いの恵みがあります。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-405(すべての人に)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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郡山教会並びに、このホームページで使用する聖書は、一般財団法人日本聖書協会(JBS)新共同訳を用いています。プロテスタント、カトリック両派の教理上の違いや見解の相違を越えて、キリストを信じる者としての根本的な一致の認識に基づいて両教会の共同の作業として翻訳された新共同訳は、カトリック教会でも使用されています。

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