2020年1月26日主日礼拝 

 降誕節第5主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-17(聖なる主の美しさと)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 コリントの信徒への手紙一 7:25~7:40    P308~309

未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます。

今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。

妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず、妻と結ばれていないなら妻を求めてはいけない。

しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。

兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、

泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、

世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。

思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、

結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、

心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。

このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。

もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい。

しかし、心にしっかりした信念を持ち、無理に思いを抑えつけたりせずに、相手の娘をそのままにしておこうと決心した人は、そうしたらよいでしょう。

要するに、相手の娘と結婚する人はそれで差し支えありませんが、結婚しない人の方がもっとよいのです。

妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。

しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。わたしも神の霊を受けていると思います。

○ 祈祷

○ 讃美歌  21-214(わが魂のひかり)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2020年1月26日郡山教会主日礼拝説教

『この世の有様は過ぎ去る』小峰 擁 牧師   コリントの信徒への手紙7:25~7:40

いま歌いました讃美歌21の17番「聖なる主の美しさと」も、こどもさんびかの「かみさまのあいは(しみとおる)」(讃美歌21‐171番)も、わたしたちキリストを信ずる者、クリスチャンがそれぞれに歩む道を、人生の日々をさし示しているのではないでしょうか。

わたしたちは使徒パウロのコリントの信徒への手紙一の中から、わたしたちの実際の生活の大切な指針を与えられるように思われます。

それはこの手紙の中に信仰の深い洞察があるからです。たとえば、この手紙の13章の愛の讃歌、15章の復活についてなど、わたしたちにとって忘れることができない、いつもわたしたちが帰ってゆくべきところがさし示されているからです。

きょうの7章も、使徒パウロが結婚などについて述べられています。主のみこころを一生懸命にたずね求め、祈りをもってこの手紙は認(したた)められています。

使徒パウロがこのように祈りつつ述べたものですので、そのうちには聴(き)くべきものがあるのではないでしょうか。パウロ個人としては、独身主義のようなところもあります。結婚の豊かさを低くみているようなところも確かにあります。けれども、かえって、わたしたちにとってそこから多くのことをも教えられるように思うのであります。

パウロはここで自分の意見であるとしています。「わたしとしては、皆がわたしのように独(ひと)りでいてほしい」(コリントの信徒への手紙一7章7節)、「主ではなくわたしが言うのです」(12節)、「未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、……」(25節)と語りだしています。

さらに、自分を抑制できない、そうしたことのなかに人間の弱さをもパウロは見つめています。そのような場合であってもその人を柔軟に受け容(い)れ、認めています(5節、9節など)。

このようなことを、パウロはいま神さまの救いの時の切迫の中から語っているのです。

「兄弟たち、……定められた時は迫っています。今からは、……すべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。思い煩わないでほしい。……このようにわたしが言うのは、……品位ある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです」(29節‐35節)と。

ここからわたしたちはどうしても主のお召し、召命ということを考えさせられます。わたしたちそれぞれが、自分に与えられた場所で、どのように主にお仕えしてゆくのかがいまひとりひとりに問われているのではないでしょうか。このことをよく憶(おぼ)えて、わたしたちも神さまに祈ってまいりましょう。

神さまはいまこの時の中で、わたしたちそれぞれにいちばんふさわしい道、わたしたちが生きる良い道を備えてくださいます。そして、逃れの道をも備えてくださいます。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-394(信仰うけつぎ)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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郡山教会並びに、このホームページで使用する聖書は、一般財団法人日本聖書協会(JBS)新共同訳を用いています。プロテスタント、カトリック両派の教理上の違いや見解の相違を越えて、キリストを信じる者としての根本的な一致の認識に基づいて両教会の共同の作業として翻訳された新共同訳は、カトリック教会でも使用されています。

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