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日本キリスト教団(日本基督教団)郡山教会公式サイト http://www.uccj-kc.jp 福島県郡山市にある、日本キリスト教団(日本基督教団)に属するプロテスタントの教会。主日礼拝は、毎週日曜日10時30分からです。どなたでもおいでください。教会にはあなたの席が用意されています。|United Church of Christ in Japan Koriyama Church Official Site. Sun, 01 Jul 2018 04:01:14 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.8.7 http://www.uccj-kc.jp/wp/wp-content/uploads/2014/03/cropped--32x32.jpg 日本キリスト教団(日本基督教団)郡山教会公式サイト http://www.uccj-kc.jp 32 32 7月15日(日)「こどもれいはい」の御案内 http://www.uccj-kc.jp/2018/07/01/125328/ http://www.uccj-kc.jp/2018/07/01/125328/#respond Sun, 01 Jul 2018 03:53:28 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2009 7月15日(日)に「こどもれいはい」を行います。

○ 場所

郡山教会

○ 時間

7月15日(日)9時30分

 

※郡山教会では、6月から「こどもれいはい」を再開しました。

6月17(日)にもお子様が参加され、「こどもれいはい」が守られました。

これからも第3日曜日に行います。お子様の参加をお待ちしています、少しでも多くのお子様が参加されるよう・・・

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http://www.uccj-kc.jp/2018/07/01/125328/feed/ 0
2018年6月24日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/06/23/125959/ http://www.uccj-kc.jp/2018/06/23/125959/#respond Sat, 23 Jun 2018 03:59:59 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2006  聖霊降臨節第6主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-132(涸れた谷間に野の鹿が)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙6章15~23節 新約聖書P.281~P.282

では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。

知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。

しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、

罪から解放され、義に仕えるようになりました。

あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。

あなたがたは、罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。

では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。

あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。

罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

 

○ 讃美歌 21-149(わがたまたたえよ)

 

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年6月24日郡山教会主日礼拝説教

『恵みのもとに』<ローマの信徒への手紙6:15‐23>

国吉典子(くによしつねこ)先生のことを想い起こします。以前のことですが、関東教区の総会会場に毎年キリスト教書店が出店しました。そこで働かれておられたのが国吉典子先生でした。静かに働かれていましたが、いつも微笑みを絶やさないような方で、いまもわたしたちの心に残っています。この国吉典子先生が天に召されてしまいます。わたしたちにとっても深い悲しみでした。しばらくして教区通信に次のような追悼文が載りました。「三年前に、それまでほとんど帰らなかった郷里熊本に伝道のために一年間帰り、……その後の二年間は闘いの日々でした。……病院では、野の花を「絵に描いてね」ともって来てくれる方々に、聖句入りのスケッチを差し上げたり、病室は看護学生さんの憩いの場となり、みことばを語り、祈り、笑いのたえない場となりました。もう一度講壇に立ちたいとの希望を持ち続け、与えられた場で、苦しみ、痛みの中にあっても伝道の業に励み続けた闘病の日々でした。「天使の声が聞こえる。とても良い生涯でした。ありがとう。」と感謝のことばを述べられ、天に召されました」(1998年3月8日『関東教区通信』国吉真理子「追悼 国吉典子先生 主の愛に満たされて」より)。

特に、「天使の声が聞こえる。とても良い生涯でした。ありがとう。」という感謝のことばが印象的です。信仰者として、わたしたちの歩み方について、深く考えさせられます。

さて、わたしたちのローマの信徒への手紙6章15節以下は、その当時のひとびとにとってはとても分かりやすい奴隷の例をもって述べられています。現代に生きるわたしたちにとっては、この例は抵抗感があるというか、屈辱さえ感じるかもしれません。しかし、当時の人々にとってはいちばんよくわかる例であったかもしれません。パウロはあえてこのような語り方をしたのでしょう。二つの道、死に至る罪の僕(しもべ)か、義に至る従順の僕か、二つの道、二つの可能性があることが示されます。ここで、罪の僕、罪の奴隷であった者が伝えられた教え、イエスさまの福音に心から従って罪から解放されて、義の僕となって救われたのだというのです。ここで、キリスト者はもはや律法のもとにいるのではなく、神さまの恵みのもとにいることが明らかにされます。イエスさまの福音によってその人は救われてすっかり変わったのでした。罪の僕から、キリストの恵みによって義の僕に変えられたのでした。ここに述べられているのは、実はわたしたち自身のことでありましょう。わたしたちこそ、神さまの律法を守ることができない弱い者です。たちまち罪に囲まれて、罪の奴隷になってしまうのです。まったく他人事ではありません。罪の僕であるみじめなわたしたちが、神さまの恵みによって、キリストの十字架の愛、キリストの恵みによってわたしたちは何と義の僕に変えられたのです。昔も今も、変わらぬこの神さまの恵みの真実をわたしたちは目の前に見るようです。神さまによって、罪と死から義といのちに移されたのです。神さまによって救われたのです。わたしたちはこれからの日々を感謝と祈りのうちに過ごしてまいりましょう。

 

 

 

 

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-513(主は命を)

 

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/06/23/125959/feed/ 0
2018年6月17日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/06/17/125853/ http://www.uccj-kc.jp/2018/06/17/125853/#respond Sun, 17 Jun 2018 03:58:53 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2003  聖霊降臨節第5主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-55(人となりたる神のことば)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙6章12~14節 新約聖書P.281

従って、あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません。

また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。

なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。

 

○ 讃美歌 21-393(こころを一つに)

 

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年6月17日郡山教会主日礼拝説教

『キリストに結ばれて』<ローマの信徒への手紙6:12‐14>

きょうのローマの信徒への手紙を読みますとき、わたしたちはいつしか讃美歌の「十字架の血に きよめぬれば、来(こ)よ…」との、あのなつかしい曲と歌詞とを思いだすのではないでしょうか。そうしてしばし心の中でその意味について考え、思いを巡らします。この讃美歌は、「 「十字架の血に きよめぬれば、 来(こ)よ」 との御声(みこえ)を われはきけり。 主よ、われは いまぞゆく、 十字架の血にて きよめたまえ。…… 」(讃美歌515番1節)と歌われてゆきます。

わたしたちの人生には、それぞれに突然さまざまなことがやってまいります。しかし、わたしたちにたとえどのようなことがあろうとも、主イエスさまのみもとにはやすらぎがあります。「わたしのもとに来なさい」、「凡(すべ)て労する者重荷を負う者、われに来(きた)れ、われ汝(なんじ)らを休ません」(マタイ11:28)との主の愛の御声(みこえ)があります。わたしたちはこれに聴(き)いて、忘れないようにしましょう。

わたしたちの日々にはいつもいろいろなことが起こってまいります。けれども、きょうのローマの信徒への手紙6章のみことばにありますように、わたしたちひとりひとりが、「キリストに結ばれて」いるのです(11節)。一番大切なこと、根本的問題は解決されているのです。しかもそれはわたしたちの力によるのではありません。わたしたちの主イエスさまの力によってわたしたちは「キリスト・イエスに結ばれて」しまっているのです。特にきょうのローマの信徒への手紙6章12‐14節のみことばには、わたしたちがキリストに結ばれた者としてもはや罪を主とせず、神さまを主とする生活に変えられていることが述べられます。12節の「に支配させて、…に従うようなことがあってはなりません」は、原文では「の王にして…に従うな」と命令形がもちいられています。

ですから、そこから考えますと、「死ぬべき体」と言っていますように、わたしたちがもともと罪に弱くしてもろい存在であることが暗示されています。そうした弱く罪にもろい体であり、死の奴隷である性格をもった者でしたが、いまはもうキリスト・イエスに結ばれてしまっているのですから、もはや罪や欲情に支配されないように、それらに服従すべきではないのだよ、というのです。生まれながら罪を犯してしまう「古い人」が、イエスさまの十字架の死によってほうむられ、イエスさまの復活によって、「新しい人」に変えられたのだというのです。

ですから「罪は、もはや、あなたがたを支配することはない」のです(14節)。死は、もはや、あなたがたを支配することはないのです。

なんという大きな恵み、なんという大きな喜びでしょうか。わたしたちも主イエス・キリストに結ばれてもうすでに古い人から新しい人に変えられてしまっているのです。

主イエスさまの十字架のみもとには豊かな愛とゆるしと慰めがあります。このことをわたしたちはいつも忘れないようにしましょう。

 

 

 

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-507(主に従うことは)

 

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/06/17/125853/feed/ 0
こども礼拝(教会学校) http://www.uccj-kc.jp/2018/06/10/130607/ http://www.uccj-kc.jp/2018/06/10/130607/#respond Sun, 10 Jun 2018 04:06:07 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1990 郡山教会では、2018年6月17日(日)より、中学生以下のお子様を対象とした、こども礼拝(日曜学校)を再開します。

 

○ 時間:毎月第3日曜日 9:30~10:00

○ 場所:郡山教会礼拝堂

○ どなたでも参加できます

○ 御両親が教会に来られなくても、また、来たことがなくても、お子様だけの参加もOKです。

○ お子様を対象とした聖書のお話を、郡山教会の小峰牧師より簡単にさせていただきます。

○ 御参加お待ちしています。

 

6がつのこどもれいはい

6がつ17にち(にちようび)

9じ30ぷん~10じ

こおりやまきょうかい

みんなきてね!

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http://www.uccj-kc.jp/2018/06/10/130607/feed/ 0
2018年6月10日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/06/10/125722/ http://www.uccj-kc.jp/2018/06/10/125722/#respond Sun, 10 Jun 2018 03:57:22 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2000  聖霊降臨節第4主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-200(小さいひつじが)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙6章1~11節 新約聖書P.280~P.281

では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。

決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。

それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。

わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。

死んだ者は、罪から解放されています。

わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。

キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。

このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

 

○ 讃美歌 21-579(主を仰ぎ見れば)

 

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年6月10日郡山教会主日礼拝説教

『新しいいのち』<ローマの信徒への手紙6:1‐11>  小峰 擁

星野富弘さんの文章に、「あの時から、空が変わりました。 私は独りではなく、 空が、神さまが見ていてくれると 思うようになったのです。……」、「あなたに逢ってから 私は道の真ん中を 歩かなくなった 真ん中はあなた 私は少し横を 歩きます」(星野富弘『いのちより大切なもの』)とありました。どちらの文章も、星野富弘さんらしくとても印象的です。わたしたちの心もいつかこのようにさせられたいと思います。

前田護郎訳『新約聖書』ローマ書6章の冒頭は、「それならわれらは何といいましょう。恩恵(めぐみ)が増すために罪にとどまるべきですか。断じて否です。罪に対して死んだわれらが、どうしてその中に生きえましょう」(前田護郎訳、ローマ書6:1,2)ととても強い口調で翻訳されています。

いままでローマ書5章で使徒パウロはアダムとキリストを並べて説明していました。そうする中でイエス・キリストの優位を強調するのです。罪に義が勝利し、死に生が勝利するのです。パウロはいまここに罪と死の敗北を、義と生の勝利を宣言するのです。

5章20節では「しかし、罪が増すところ恩恵(めぐみ)が満ちあふれました」(前田訳、ローマ書5:20)と述べていました。罪から解放された者、解放される者が恩恵(めぐみ)の大きさを讃(たた)える言葉でした。パウロは3章8節にも同じような言い方をしていました。そこでも、前半でひとつの問いを提出しながら、後半ではこれをきびしく否定するのでした。ここ(ローマ書6章)でも、前半でひとつの問いを提出しつつ、後半では「断じて否です」と毅然とした口調で否定します。

ここの前田訳の「断じて否です」というところは、なぜかとても心惹かれるように思います。ある誘惑に対して、自分をたたいてでも、自分に言い聞かせるようとする調子がここにあるように思います。ときには、自分の心に、自分の魂にこのように語りかけることも、大切なのではないでしょうか。むしろ、わたしたちはここに信仰の心、信仰の心意気を感じさせられます。イエスさまを信ずる信仰によって志操、動かぬ心を与えられるのです。他の人に対してではありません。自分の心に対して、特に罪に誘惑されようとする自分の心に対して、このような信仰における操というか、志をもつことがわたしたちにとっても大切なのではないでしょうか。キリストに対するわたしたちの精いっぱいの応答、感謝かもしれません。このような意味でわたしたちの信仰の応答というか、心意気というものが大切かと思います。ローマ書6章1,2節から、キリストの使徒パウロの信仰の心、心意気を、息遣いのようなものを聴かされるように思うのです。

そして、ある人も同じように言っていますように、「キリストの死の中に自分を投げ込む」ような、そうした純な信仰の心をもって、ここのところを読みたいと思います。

いまを生きるわたしたちも、神さまの恵みによって、イエスさまの愛によって、純粋で素直な信仰の心、信仰の心意気を与えられたいと思います。

 

 

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-458(信仰こそ旅路を)

 

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/06/10/125722/feed/ 0
2018年6月3日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/06/10/121621/ http://www.uccj-kc.jp/2018/06/10/121621/#respond Sun, 10 Jun 2018 03:16:21 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1996  聖霊降臨節第3主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-140(み神のすまいは)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙5章15~21節 新約聖書P.280

希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

○ 讃美歌 21-342(神の聖霊よ、今くだり)

 

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年6月3日郡山教会主日礼拝説教

『永遠の命』<ローマの信徒への手紙5:15‐21>  小峰 擁

玉木愛子さんの句集『眞夜(まよ)の祈』の夏の句に「黄金(こがね)より牡丹(ぼたん)より母愛(いと)しかり」とあります。とても心惹かれます。

そして、秋の句には、「菊枯れてなほ限りなきいのちあり」とあります。

いつしか、わたしたちは天上を見上げ、永遠のいのちについて考えさせられます。

さきほど歌いました讃美歌21の140番「み神の住まいは……」という歌詞の中にも、わたしたち信仰者の心、天の国へのあこがれ、永遠のいのちを思う心が歌われているように思われます。

さて、ローマの信徒への手紙第5章1節から11節によりますと、わたしたちは神さまの恵みによって義とされた者として、たとえ苦しみのうちにあっても喜び、キリストのいのちに与かって、救われた者として神さまを讃美するようにすすめられています。

それから、12節以下ですが、ここを試みに青鉛筆と赤鉛筆で線を引きながら分けるなら、どのようになるのでしょうか。

アダムに代表される人間の罪や死についての意味には仮に青鉛筆で線を引き、主イエスさまの救いや恵みの意味のほうも仮に赤鉛筆で線を引くという風にです。このように分けながら線を引きますと、きっとここの意味がしだいにはっきりと理解できるようになってくるのではないでしょうか。

「一人の人(アダム)の罪」に対して、「一人の人イエス・キリストの恵みの賜物、神の恵みと義の賜物」(15節、17節)。「一人(アダム)の罪、有罪の判決」に対して、「無罪の判決、一人(キリスト)の正しい行為」(16節、18節)。「一人の人(アダム)の不従順」に対して、「一人(キリスト)の従順」(19節)。「(アダムによる)罪、死による支配」に対して、「(キリストによる)恵み、義による支配」(21節)……というようにです。

このようにローマ書5章12節以下の罪と死の叙述は、わたしたちの救い主イエス・キリストによる永遠のいのちへと、一挙にここに向かって流れ込んでいくかのようです。

使徒パウロは「わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです」(ローマ5:21)とここであかししています。そして次のローマ書6章では、「神の賜物は、わたしたちの主イエス・キリストによる永遠の命なのです」(ローマ6:23)と第5章と同じ結論に到ります。天の父なる神さまがイエスさまの十字架と復活によってわたしたちに与えてくださった救いと永遠のいのちです。神さまはわたしたちがまだ罪人であったときも、キリストの十字架のあがないによって、わたしたちを神さまのみ前に義としてくださいました。主イエス・キリストの十字架のあがないによって救われたのです。

ところで、「永遠の命」と書かれたきょうの説教題を見ますとき、この書を通じて何か永遠のいのちの輝きのようなものが心に迫ってまいります。神さまに感謝です。神さまの愛がわたしたちの心に迫ってまいります。御手にすべてを委ねて共に祈りましょう。

 

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-390(主は教会の基となり)

○ 聖餐式 配餐

○ 讃美歌 21-78(わが主よ、ここに)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/06/10/121621/feed/ 0
2018年5月20日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/05/20/120039/ http://www.uccj-kc.jp/2018/05/20/120039/#respond Sun, 20 May 2018 03:00:39 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1984  聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-493(いつくしみ深い)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙5章5~8節 新約聖書P.279

希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

○ 讃美歌 21-346(来たれ聖霊よ)

 

○ 説教

2018年5月20日郡山教会聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝説教

『聖霊によって』<ローマの信徒への手紙5:5‐8>  小峰 擁

きょうは聖霊降臨日、ペンテコステの礼拝です。そしてまたきょうは永眠者記念礼拝です。天にある兄弟姉妹たちのご遺族の方々とともに礼拝を守っております。こうして前方に並べられた多くの兄弟姉妹たちの写真に加えて、さらにもっと多くの方々もあることを憶えます。わたしたちはいま天にある兄弟姉妹たちの写真を見ていますと、そのお一人お一人に大切なかけがえのない人生、いのちの時間が与えられていたことを思わされます。ほんとうはご本人でなければそれは充分にわからないのかもしれません。しかし、同じ時間を生きられたご家族の方々でしたら、親しく時間を共有された方々でしたら、ご本人の気持ちも幾分なりともお分かりなのかもしれません。

さて、時ということでありますが、聖書において時は神さまの時であるということが教えられています。わたしたちはいつもではありませんが、こうした時間の切迫ということを切実に感じさせられることがあります。旧約聖書のコヘレトの言葉に「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬとき、……」(コヘレト3:1,2)とあります。何か人生の厳粛なものを感じさせられます。神さまが時を与えてくださるのです。天に召された兄弟姉妹にも、それぞれの時がありました。それは究極的には神さまが備えられた時間であったのです。けれども、それは愛する者を天に送られました方々にはとてもつらいことであることでしょう。やはり、わたしもそのことを思うと胸がしめつけられるようです。しかし、天の父なる神さまは愛なる神さまです。慰めの時をも備えてくださいます。同じくコヘレトの言葉ですが、「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる」(コヘレト3:11)というのです。愛なる神さまはお一人お一人に慰めの時をご用意してくださいます。愛する者を天に送られた方々お一人お一人にもそうしてくださいます。

救いの時は神さまの定めのなかにあります。神さまは人間の救いのご計画を立てられ、「時が満ちた」ときに、御子キリストを遣わされたのです(ガラテヤ4:4)。また、御父と、御子の霊である聖霊を遣わされたのです。聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事はイエスさまを信ずる群れ教会に与えられた神さまの恵みであります。そして神さまはこの慰めの霊をわたしたち一人一人の心のなかにも与えてくださいます。神さまの恵みの雨が昔イエスさまを愛する人たちに降り注いだように、いまわたしたちにも降り注ぐのです。いま悲しんでいる者、愛する者を天に送られた方々をも慰める神さまの恵みの雨です。きょうの新約聖書のローマ書の中にもこのように記されています。「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)。聖霊は弱いわたしたちを助け、執り成してくださいます。そして神さまは、イエスさまは、わたしたちの心に慰めの霊である聖霊を送ってくださいます。神さまの約束の聖霊を豊かに注いでくださいます。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-385(花彩る春を)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/05/20/120039/feed/ 0
2018年5月13日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/05/13/122133/ http://www.uccj-kc.jp/2018/05/13/122133/#respond Sun, 13 May 2018 03:21:33 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1965  受難節第7主日(母の日)礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌 21-56(主よ、いのちのパンをさき)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙5章1~11節 新約聖書P.279~P.280

  • このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、

    このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。

    そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、

    忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

    希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

    実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。

    正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。

    しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

    それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

    敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。

    それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。

  • 祈祷
  讃美歌 21-475(あめなるよろこび)

 

説教

2018年5月13日郡山教会主日(母の日)礼拝説教

『神の栄光にあずかる希望』<ローマの信徒への手紙5:1‐11>  小峰 擁

「母の日や胸に真赤なカーネーション」。玉木愛子さんのこのうたのことを思い起こします。きょうは母の日です。来月の父の日のことも併せて憶えて神さまに感謝し礼拝をささげたいと思います。母の日ということですぐに思い出しますのは母の愛ということです。母への感謝の思い出をいっぱいもっている方も多いことでしょう。ともかく母は理屈ではなく、わが子のことを心配し、愛してくれたと思うのです。やはりいまの自分があるのは母の愛があったからだと思うのです。

ですから、讃美歌の510番の「まぼろしの影を追いて うき世にさまよい、……春は軒の雨、秋は庭の露、母はなみだ乾くまなく、祈ると知らずや。……」という母の日の讃美歌はわたしたちの母の歌です。忘れることができません。すべてのものを備えてくださった神さまの愛にわたしたちは心から感謝し、み名をほめたたえたいと思います。

さて、わたしたちのローマの信徒への手紙5章には神さまの大きな愛が喜びをもって語られています。まず、神さまの愛について語る準備のように「神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」(2節)、「そればかりでなく、苦難をも誇りとします」(3節)、「それだけでなくわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています」(11節)という三つの「誇り」について語ります。これらの誇りは、ガラテヤ書の十字架の誇りや、第二コリント書の弱さの誇りと共通するものです。そしてこれらの誇りは主の十字架を誇るということに集中してゆきます。「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものがあってはなりません」(ガラテヤ6:14)。このように使徒パウロは主の十字架の救い、主の十字架の愛を証言します。さらに「苦難・忍耐・希望」について、聖霊について語っています。

「……わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(3~5節)。

わたしたちはこれらのみことばによっていままでどれだけ慰められ、勇気を与えられてきたでしょうか。わたしたちは人生における苦難の意味ということを深く教えられます。苦難はいつもマイナスばかりなのでしょうか。これらのみことばによって決してそうではないことが教えられています。苦難をも耐え忍ぶということ、そこにも、いまわたしたちにははっきりとわかりませんが、神さまが与えられた意味がきっとある、隠されているということです。つまりわたしたちの人生のさまざまな苦難の中にも神さまは意味を与えてくださっているのです。そこに神さまの愛が隠されている、秘められているということを教えられているのではないでしょうか。この「不信心な者のために死んでくださった」キリストの十字架の愛が秘められているのです。「キリストがわたしたちのために死んでくださった」神さまの愛です(6,8節)。わたしたちにも、神さまの愛が注がれています。神さまの愛、キリストの愛が、わたしたちに迫ってまいります。

 

 

祈祷

讃美歌 21-566(むくいを望むまで)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

 

この後、母の日にちなんで、礼拝に参加された「おかあさんたち」に赤のカーネーションのプレゼントがありました。

 

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http://www.uccj-kc.jp/2018/05/13/122133/feed/ 0
教会は、初めて!という方へ http://www.uccj-kc.jp/2018/05/06/154645/ http://www.uccj-kc.jp/2018/05/06/154645/#respond Sun, 06 May 2018 06:46:45 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1924 郡山教会は日本基督教団に属する、キリスト教プロテスタントの教会です。

青山学院大学、東北学院大学といった、キリスト教プロテスタント系の学校ともつながりのある教会です。

 

○ このホームページについて

教会へ行ってみたいと思っても、教会に行ったことがない、教会は初めて!という方にとっては、じゃあ行ってみよう!という気にはなかなかなれないのではないのでしょうか?

私たち郡山教会の教会員の中にも「周りにクリスチャンがいなかったから、初めて教会に行こうとしてもなかなか一歩が踏み出せなかった・・・」と話す方も多く、行こうと思ってもなかなか一歩が踏み出せない方のお気持はよく分かります。

郡山教会でも、キリスト教を広める伝道については多くの教会員からの願いもあり「神様を求める方、救いを求める方にもっと情報を発信し、教会に行きたいと思っている方が少しでも教会に行きやすくなっていただきたい!」との思いから、この公式サイトを開設させていただくことになりました

 

○ 礼拝について

私達は、キリスト教や教会に興味をもっておられる方が、このページをご覧になって一日も早く教会においでくださって、お目にかかれることを心より願い、お待ちしております。キリスト教に興味をもったり教会に行ってみたい!と思ったら、まずは毎週日曜日に守られている主日礼拝においでください。

郡山教会では毎週日曜日10時30分より礼拝が始まります。少し余裕をもって10時15分頃までに受付においでになり、初めて教会に来たという事をおっしゃってください。

その時に来会者カードに必要事項をご記入いただき(任意ですので書いていただかなくても結構です)、礼拝の次第や今週の予定や報告事項が記載されている週報と、礼拝で使用する聖書と讃美歌集をお貸しいたします。その後、教会員が礼拝場まで案内いたしますので、週報をご覧になって、本日の聖書箇所、礼拝次第、讃美歌に目を通してください。

聖書と讃美歌集には、「しおり」がしてあります。礼拝が始まりましたら、司会者の進行にそって礼拝をお守りください。

 

○ 服装について

スーツやネクタイを着用する必要はありませんが、普段着で、なおかつ少し落ち着いた服装でおいでいただければと思います(男性でしたらズボンに襟付きのシャツくらいで大丈夫です)。

 

○ 献金について

礼拝中に献金がありますが、神様への感謝として任意の献金をお願いします(献金をする金額はもちろん、献金を「する」、「しない」もご自分と神様の関係で決めてください。一切強制はいたしません)。

 

○ 聖餐(せいさん)式について

第一主日(月の第一週)には聖餐(せいさん)式という約2000年に渡りキリスト教が受け継いできた式典がありますが、私達郡山教会が所属する日本基督教団では、洗礼を受けていない方への聖餐をすることができませんので、まだ洗礼を受けられていない方が聖餐に与ることはできません。一日でも早く信仰告白をされて洗礼を受けられ、一緒に聖餐に与れるように祈っております。

 

上記以外でご不明な点は、受付の礼拝当番におっしゃってください。一日も早く教会でお会いできることを楽しみにお待ちしています。

初めて教会に行こう!と思っている方で、聞いておきたいことや不安なことがありましたら、電話等で事前にご相談ください。

個別に牧師に相談がある場合は、遠慮なくおっしゃってください、時間を調整のうえ、御相談に応じさせていただきます。

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2018年5月6日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/05/06/042959/ http://www.uccj-kc.jp/2018/05/06/042959/#respond Sat, 05 May 2018 19:29:59 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1918  受難節第6主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌 21-113(いかに幸いな人)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙4章13~25節 新約聖書P.278~P.279

  • 神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。

    律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。

    実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。

    従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。

    「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。

    彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。

    そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。

    彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。

    神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。

    だからまた、それが彼の義と認められたわけです。

    しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、

    わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。

    イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

  • 祈祷
  讃美歌 21-280(馬槽のなかに)

 

説教

2018年5月6日郡山教会主日礼拝説教

『神の約束』<ローマの信徒への手紙4:13‐25>  小峰 擁

昨年5月21日、カール・ハインツ・ワルケンホースト先生は変わらぬ愛をもってみことばを学び続け、みことばに生きて、天に帰ってゆかれました。ワルケンホースト先生は北ドイツの熱心なルター派の信者の家庭のご出身です。ワルケンホースト先生は1938年、西ドイツのビレフェルドという町でユダヤ教の会堂が焼き尽くされるのを目撃します。ギムナジウム(高校)生のとき、ユダヤ人の同級生が「ダビデの星」という黄色い印をつけさせられみんなから差別され、ある日ふと姿を見せなくなってしまいます。とても心配し悲しんだそうです。先生のお父さんは聖書をよく知る人でしたので「ユダヤ人を迫害するドイツ政府の不正は恐ろしいことである。必ず神の罰をうけることになるであろう」と言われます。さらにイスラエルの選びと契約、罪と罰のことを説明し、「聖書のみことばが無効になることはけっしてない」とわが子に語っていたそうです。

第二次世界大戦後、ワルケンホースト先生はユダヤ人を迫害したドイツ民族の一員としてあがないの生活をしたいと考えるようになります。このためプロテスタントからカトリックに移られ、イエズス会の神父となられます。そして「万民に福音を伝えたい」とのワルケンホースト先生の布教の願いは、神さまによってかなえられ、1957年に来日されました。その日から60年余の日々を先生は神さまのみことばを尋ね求めて歩み通されました。「聖書のみことばが無効になることはけっしてない」ということは、先生のご生涯を貫いて信仰の確信となってゆきました。このことは、同時に、使徒パウロが書いたローマの信徒への手紙から教えられたことでもありました。

ローマ書4章で使徒パウロは「神さまの約束は無効になることはない」ということをアブラハムに与えられた約束を例にとって説明するのです。アブラハムは神さまの約束を疑うことなく信じます。このことをパウロは強調します。「彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、……神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです」(ローマ4:20‐22)。さらにアブラハムの約束はキリストの復活によって成就、実現するのです。

このことは実はわたしたちの日々とも深く結びつきます。「しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです」(ローマ4:23-25)。

このように神さまの約束の成就、主イエス・キリストの復活はわたしたち一人ひとりの人生とも深く関係します。わたしたちの人生の一日一日を貫いて、神さまのみことばは、神さまの約束は成就いたします。イエスさまの十字架と復活は、神さまの約束の成就にほかなりません。わたしたちのなにげない一日一日も、神さまの救いの歴史の中での出来事なのです。このことをわたしたちは知ってこころにやすらぎをあたえられます。

 

祈祷

讃美歌 21-390(主は教会の基となり)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

 

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