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日本キリスト教団(日本基督教団)郡山教会公式サイト http://www.uccj-kc.jp 福島県郡山市にある、日本キリスト教団(日本基督教団)に属するプロテスタントの教会。主日礼拝は、毎週日曜日10時30分からです。どなたでもおいでください。教会にはあなたの席が用意されています。|United Church of Christ in Japan Koriyama Church Official Site. Sun, 02 Jun 2019 00:39:36 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.8.9 http://www.uccj-kc.jp/wp/wp-content/uploads/2014/03/cropped--32x32.jpg 日本キリスト教団(日本基督教団)郡山教会公式サイト http://www.uccj-kc.jp 32 32 2019年5月26日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/06/02/093936/ http://www.uccj-kc.jp/2019/06/02/093936/#respond Sun, 02 Jun 2019 00:39:36 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2377  復活節第6主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-6(つくりぬしを賛美します)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙15:14~21 (新約聖書p.295、p.296)

兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。

記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、

異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。

そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。

キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、

また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。

このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。

「彼のことを告げられていなかった人々が見、/聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。

○ 讃美歌 21-198(二ひきのさかなと)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年5月26日郡山教会主日礼拝説教

『神の福音』<ローマの信徒への手紙15:14~21> 小峰 擁

「すべてのひとに のべつたえよ」という讃美歌があります(讃美歌225、讃美歌〔21〕405)。

「すべてのひとに のべつたえよ、 かみのたまえる みおとずれを。

あめなる父は み子をくだし、 すくいのみちを ひらきませり。……」(讃美歌225)

と力強く歌い始められます。

この讃美歌によっても、主の教会の歩むべき道がはっきりとわたしたちにさし示されているように思われます。それはイエスさまのよろこびのおとずれ、福音(ふくいん)を伝道する教会、伝道の教会の姿です。

神の福音、良い知らせを「すべてのひとに のべつたえよ」です。

愛する人に、愛する友に、愛する家族に、すべての人にイエスさまの愛をのべつたえるのです。わたしたちは愛をもって主イエスさまをご紹介いたしましょう。

さて、この讃美歌は、まるできょうのローマの信徒への手紙のようであります。何度か、この手紙の15章を読んでみました。そして「すべてのひとに のべつたえよ」というこの讃美歌の歌詞を思いだしたとき、いままで厚くおおわれていた霧もすっきりとなくなったように思われました。

これも、神さまが、イエスさまが、新約聖書の使徒パウロのローマの信徒への手紙を用いてわたしたちに福音の喜びを示し、告げ知らせておられるからではないでしょうか。

ところで、きょうのローマの信徒への手紙15章の「異邦人」という言葉が妙に気になります。国語辞典によれば「異邦人」とは「他国の人、外国人」となりますが、聖書においては「ユダヤ人以外の人」が「異邦人」であるという基本的な意味があります。

ですから、もちろんユダヤ人でないわたしたちは皆「異邦人」であるということになります。そうです。わたしたちは生まれながらの異邦人でありました。

けれども、そのような者たちが、神さまの愛と憐れみによって、キリストの十字架の愛と救いによって、何と新しい神の民、キリストの民とされたのでした(エフェソ2:11以下などを参照)。

わたしたちもこうしたことを踏まえ考えてみますと、ここでいう「異邦人」ということも、とても他人事とは申せません(ローマ15:9,10、11、12,16、18などを参照)。

わたしたちも、かつて「異邦人」であったのだけれども、そしていまは、神さまのもの、キリストのものとされています。何と新しい神の民、キリストの民とされています。

神さまは愛してくださいました。主キリストの十字架の贖(あがな)いによってわたしたちは救われたのでした。主イエス・キリストの愛、救いの恵みを想い起こします。

確かにわたしたちの人生は山あり谷ありです。しかし、神さまから日々にいただく恵みを感謝しながら、その恵みのひとつひとつを数えながら歩ませていただきましょう。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-402(いともとうとき)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2019/06/02/093936/feed/ 0
2019年5月19日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/05/30/144658/ http://www.uccj-kc.jp/2019/05/30/144658/#respond Thu, 30 May 2019 05:46:58 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2371  復活節第5主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-7(ほめたたえよ、力強き主を)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙15:7~13 (新約聖書p.295)

だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。

わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、

異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、/あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。

また、/「異邦人よ、主の民と共に喜べ」と言われ、

更に、/「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」と言われています。

また、イザヤはこう言っています。「エッサイの根から芽が現れ、/異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。」

希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。

 

○ 讃美歌 21-393(こころを一つに)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年5月19日郡山教会主日礼拝説教

『キリストの模範』<ローマの信徒への手紙15:7~13> 小峰 擁

きょうのローマの信徒への手紙15章のみことばは、わたしたちにこう語りかけます。

「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい……」(ローマ15:7)。

内容的にも前の6節の祈りと願いとほとんど同じではないでしょうか。

「心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように」(ローマ15:6)。

ここで「心を合わせ声をそろえて」と表現されます。それは合唱の精神、ハーモニーの精神というふうにいってもいいのかもしれません。わたしたちも「キリスト・イエスに倣(なら)って」一生懸命になって歩むのです。イエス・キリストがわたしたちの中心に立ってくださり、互いに「同じ思い抱かせ」、「心を合わせ声をそろえ」させてくださいます。

もちろん、教会においてもそうです。郡山教会のおいてもそうです。郡山細沼教会においてもそうです。ここでは使徒パウロがこの手紙を書いている、その宛先であるローマ教会のことでした。ローマ教会はそのほとんどは異教からの改宗者たちでしたが、その中には様々な人々がいました。もちろんギリシャ人やローマ人もいました。ゲルマン人ほか辺境より何らかの事情によって連れてこられたりした人々もいます。それらの中には離散(デイアスポラ)のユダヤ人もいたことでしょう。この世的にも、社会的にも、さまざまな立場、境遇にある人々もいたことでしょう。女の人も、男の人も、こどもも、ご高齢な方もおられたことでしょう。このような中からイエスさまを信ずる人たちの群れ、教会が誕生します。それらがローマ教会を形づくっていました。

そうです。イエスさまはすべての人を、罪の中にあって苦しんでいるまだ神さまを知らなかった者たちを、敢(あえ)て選んでくださいました。ゆるしてくださいました。そしてこのような者たちを救ってくださったのです。わたしたちも、そのひとりです。

このことを思うとき、教会員が互いに受け入れられないはずはないではないのかというのです。分れ争うことは、神さまの栄光を傷つけることになる、そうではなくて、むしろ互いに受け入れ合って、神さまの栄光をあらわすべきではないのかというのです。

このようにキリストを信ずる道、クリスチャンの道を指し示すのです。キリスト者は、そしてキリストの教会は、神さまの栄光を表すために存在しているのではないのかといっています。自らの拠(よ)って立つ信仰的な立場を守ることも大切ですが、他をそしり、悪口を言い合うようになってはいけないというのです。もっと積極的な互いに受け入れ合う信仰こそ、キリストを信ずる者の聖なる道なのではないのかというのです。

わたしたちも神さまの愛、恵みによって救われた者たちです。わたしたちも神さまの栄光をあらわす器(うつわ)とさせていただけますように日々祈ってまいりましょう。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-543(キリストの前に)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2019/05/30/144658/feed/ 0
2019年5月12日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/05/23/144029/ http://www.uccj-kc.jp/2019/05/23/144029/#respond Thu, 23 May 2019 05:40:29 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2367  復活節第4主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-493(いつくしみ深い)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙15:1~6 (新約聖書p.295)

わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。

おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。

キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。

かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。

忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、

心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。

 

○ 讃美歌 21-385(花彩る春を)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年5月12日郡山教会主日礼拝説教

『忍耐と慰め』<ローマの信徒への手紙15:1~6> 小峰 擁

きょうは母の日、永眠者記念の日の礼拝であります。昨日、何人かの方々のご奉仕によって、きょうの準備がなされました。講壇の前には、このように天にある兄弟姉妹たちの多くの写真が据えられました。きょう新たに加えられた写真もあります。

こうしてその写真の一つひとつを見つめておりますと、在りし日の兄弟姉妹たちのことが思い出されます。そしてまた、わたしたちも、いまは天にある兄弟姉妹たちから何かを教えられているようであります。

それは天にある兄弟姉妹たちがこの世にあったとき、そのお一人おひとりが神さまの愛、主イエスさまの愛の御手によって導かれ、生かされたということでありましょう。そのことが一枚一枚の写真によく顕されています。物語られているように思われます。

また、本日は母の日でもあります。すでに天にある父、母の方もおられると思います。ご健在のお父さま、お母さま方もおられると思います。わたしたちは、やはり、忘れたくとも忘れられない、母の愛、父の愛をしみじみと想い起すものであります。神さまからいただきました、その恵みの一つひとつを数えつつ、感謝したいと思います。

さて、きょうのローマの信徒への手紙のみことばが指し示しますのは、忍耐と慰めということであります。天にある兄弟姉妹の忍耐と慰め、父、母の忍耐と慰めということもありますけれども、ここではむしろそうした方たちを支えてくださった神さまの忍耐と慰めということであります。あるいは、み子キリストの忍耐と慰めということです。

神さまは、キリストはわたしたちには測りがたいような忍耐と慰めをもって、わたしたちのことを愛してくださり、救ってくださったということです。

3節は文語訳ですと、「キリストだに己を喜ばせ給は(たまわ)ざりき、録(しる)して『なんぢを謗(そし)る者の謗(そしり)は我(われ)に及べり』とあるが如(ごと)し」(ロマ書15:3、文語訳)となります。ここでは「なんぢ」は神さま、「我」はキリストのことであります。

キリスト・イエスこそ「返って己を空しうし僕(しもべ)の貌(かたち)をとりて人の如くなれり、既に人の状(さま)にて現れ、己を卑(ひく)うして死に至るまで、十字架の死に至るまで順ひ(したがい)給へ(え)り」(ピリピ書2:8、文語訳)お方です。

天にある兄弟姉妹お一人おひとりを、またわたしたちの父、母をも包んだ神さまの愛、キリストの愛の深さ、高さ、広さ、すばらしさを思わずにはおれません。

神さまの愛は、特にキリストの愛と救いは、キリストの十字架と復活に集中してあらわされます。

天にある兄弟姉妹たちを、わたしたちの父、母を、そしてわたしたちをも包んでくださっている神さまの愛と忍耐、キリストの愛と忍耐に感謝したいと思います。

聖名(みな)をほめたたえ、神さまの慰めと平安をお祈り申し上げます。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-532(やすかれ、わがこころよ)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2019/05/23/144029/feed/ 0
2019年5月5日主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/05/12/092637/ http://www.uccj-kc.jp/2019/05/12/092637/#respond Sun, 12 May 2019 00:26:37 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2360  復活節第3主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-322(天の座にいます)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙14:13~23

従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。

それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです。

あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。

ですから、あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい。

神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。

このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。

だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。

食べ物のために神の働きを無にしてはなりません。すべては清いのですが、食べて人を罪に誘う者には悪い物となります。

肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい。

あなたは自分が抱いている確信を、神の御前で心の内に持っていなさい。自分の決心にやましさを感じない人は幸いです。

疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。

○ 祈祷

○ 役員任職式

○ 讃美歌 21-484(主われを愛す)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年5月5日郡山教会主日礼拝説教『キリストは彼のためにも、死んでくださった』       <ローマの信徒への手紙14:13‐23>小峰 擁

『キリストは彼のためにも死なれた』<ローマの信徒への手紙14:13‐23> 小峰 擁

「……。キリストは彼のためにも、死なれたのである」(ローマ14:15、口語訳)。

本日の説教題の『キリストは彼のためにも死なれた』は、わたしたちにとって、とても衝撃的なことではないでしょうか。

先週、この説教題の掲示板の書をご覧になったご近所のある方から、「これはどういう意味なのか」と質問を受けました。「「にも」は要らないのではないか。「キリストは彼のために死なれた」ではないのか」と言われるのです。なかなか鋭い質問です。

「その通りです。「キリストは彼のために死なれた」のです」。「微妙なニュアンスの違いはありますが、ここは「キリストがその人のために死んでくださった」ほどのそのような人を滅ぼさないでほしいというような意味です」と答えさせていただきました。

ところで、先日わたしもここのところを読んでいまして、「ほんとうにそのとおりだな、ほんとうにまいったな」と思わず唸(うな)ってしまいました。

わたしたちは、ある何かのことで、兄弟を滅ぼすようなことをしてはいないでしょうか。そう思うと、ここの聖書のみことばがとても心の奥にまで迫ってまいります。

「あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んではいません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。」(ローマ14:15)。

「もし食物(しょくもつ)によりて兄弟を憂(うれ)ひ(い)しめば、汝(なんじ)は愛によりて歩まざるなり、キリストの代りて死に給(たま)ひし人を汝の食物によりて亡(ほろぼ)すな。」(ローマ14:15、文語訳)。

わたしたちはこれまでのそのような具体的な出来事の思い出が、そのときのさまざまなことがらが思い起こされるのではないでしょうか。

しかし、いまやこのみことばに出会うとき、その人のことがいままでそう思っていたようにキリストと無関係の人だとは思われなくなってきてしまいます。そう思いはじめたとき、いままでの自分の見方も、しだいに変わってくるのではないでしょうか。

そうです。続く17節にはこのようにあります。

「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」(ローマ14:17)。

わたしたちはよく食べたり飲んだりいたします。それを楽しみともします。しかし、「ほんとうの喜びは、心のやましいことのないこと、みんなと仲よくおだやかにくらすこと、また天よりのなぐさめを受けることです。」

(野辺地天馬(のべちてんま)著『子ども日日の光』より)。

わたしたちも、このことを心によくとめて、神さまから与えられた恵みの日々を、感謝と喜びをもって歩ませていただきましょう。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-404(あまつましみず)

○ 聖餐式

○ 讃美歌 21-78(わが主よ、ここに)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2019/05/12/092637/feed/ 0
2019年4月28日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/174658/ http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/174658/#respond Thu, 09 May 2019 08:46:58 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2355  復活節第2主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-210(来る朝ごとに)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ヨハネによる福音書20:19~29

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」

そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。

そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

○ 讃美歌 21-325(キリスト・イェスは)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年4月28日郡山教会主日礼拝説教

『わが主よ、わが神よ』<ヨハネによる福音書20:19‐29> 小峰 擁

「やすかれ、わがこころよ……」と歌いだすフィンランディア―忘れえぬあの美しい讃美歌の歌詞と曲のことが思い出されます(讃美歌〔21〕-532)。 「やすかれ、わがこころよ、 主イエスはともにいます。 いたみもくるしみをも しずかに忍び耐えよ。 主イエスのともにませば、 耐ええぬ悩みはなし。 ……」と歌ってゆきます。各節とも感動的です。主イエスさまがどんなときでもわたしたちといっしょにいてくださる、イエスさまが愛していてくださるという、失うことのない安らぎと希望を与えられます。

きょうのみことばがわたしたちに教えていますのは、復活の主イエスさまがわたしたちのなかにも現われてくださり、入ってきてくださるということです。

さまざまな悩みや悲しみの中にあるわたしたちです。心配なこともたくさんあります。からだのことや、病気や怪我のこと、家族のこと、生活のこと。そしてこの自分はいったいいつまで元気でいられるのかと悩みます。数え上げたならば、きりがありません。そのひとつひとつがわたしたちの日々の祈りです。

ヨハネ福音書20章のきょうのみことばが示しているのは、ぴしゃっと、とびらを閉めていた弟子たちの只中にまで、復活のイエスさまが入ってきてくださったということです。そして彼らの真ん中に立たれて、「安かれ」「あなたがたに平和があるように」と告げられます。しかも、三度もそう告げられています(19、21、26節)。このようにイエスさまはわたしたちの心のとびらの中まで、入ってきてくださり、その真ん中に立たれ、「安かれ」「あなたがたに平和があるように」と祝福してくださいます。そして、復活の主イエスさまは十字架の傷をていねいに弟子たちにお見せになります。その手とわき腹のみ傷を示されます。「弟子たちは主を見て喜んだ」(20節)のです。このことはわたしたちが礼拝していることと同じでありましょう。礼拝の中で、わたしたちはみことばをいただき、神さまを拝み、礼拝するのです。十字架の主、復活の主イエスさまにお会いして、イエスさまといっしょにいることを喜ぶのです。礼拝の中で十字架と復活の主イエスさまがわたしたちに臨んでくださいます。そして、「息を吹きかけて」とありますが、十字架と復活のイエスさまが息吹である聖霊、み霊(たま)を息のように吹きかけられて、「安かれ」「あなたがたに平和があるように」と弟子たちと同じようにわたしたちを祝福されるのです。「十二人の一人ディディモのトマス」の出来事もわたしたちはとても惹きつけられます。トマスは信じることにとても臆病なわたしたちの心を代表しているような人物かもしれません。28節のみことばも、十字架と復活の主イエスさまのわたしたちへの祝福の言葉です。このような疑り深いトマスにも、イエスさまはもう一度み傷をていねいに示してくださいます。あなたも信じなさいと呼びかけてくださいます。それに対して、トマスはただ「わが主よ、わが神よ」と叫ばざるをえませんでした。これはトマスの喜びの叫び声です。そして、わたしたちの喜びの叫び声です。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-575(球根の中には)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/174658/feed/ 0
2019年4月21日主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/173445/ http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/173445/#respond Thu, 09 May 2019 08:34:45 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2351  イースター(復活日)礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-326(地よ、声たかく)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ヨハネによる福音書20:1~18

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。

二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。

身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。

続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。

イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。

それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。

イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

それから、この弟子たちは家に帰って行った。

マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、

イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。

天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」

こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。

イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」

マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

 

○ 讃美歌 21-327(すべての民よ、よろこべ)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年4月21日郡山教会主日礼拝説教

『主の復活』<ヨハネによる福音書20:1‐18> 小峰 擁

主の復活の日イースターの朝(あした)、マグダラのマリアは愛する主イエスさまを失い、途方に暮れています。この人は愛する者が葬られたお墓に心を奪われています。

この人の姿はわたしたちの魂の姿そのものではないでしょうか。

イエスさまのお墓の前にマグダラのマリアは悲しみたたずみます。そのとき「婦人よ、なぜ泣いているのか」とのみ声が聴(き)こえてきたのです。このように主の天使も、主イエスさまも、彼女に尋ねられます。

そのとき、マリアは主の十字架の死のあまりの悲しみのためにうちしおれ、すっかり心を奪われていたのでありましょう。

わたしたちも、マリアの涙と決して無縁ではありません。他人事ではありません。わたしたちも愛する者が死んだとき、同じようにただ悲しみ泣く者でありましょう。何を尋ねられても、みんなうわのそらのような状態かもしれません。わたしたちはときどき、死がわたしたちの人生の終わりであり、すべての終わりのように思えてしまいます。死によってすべてが失われ、消えてゆかざるを得ないと心の中で思ってしまうのです。

しかし、十字架の主、復活の主イエスさまを信ずるわたしたちには死は終わりではありません。すなわち、「キリストが聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、……。」(コリント一15:3,4)。これらのことがマリアに、そしてわたしたちにも、明らかになるのです。

「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(コリント一15:20)。このことが明らかになるのです。マリアと、そしてわたしたちに。 ですから、死がどれだけ現実的であっても、わたしたちの魂は「死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(コリント一15:55)と叫ぶことができます。主イエス・キリストの復活のゆえにです。

主イエスさまがお墓で悲しみ泣くマリアに現われたとき、マグダラのマリアは主のご遺体を探して「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのかわたしたちには分かりません。」と嘆くとき、そのとき復活の主イエスさまがマリアの後ろのほうからやさしく呼びかけてくださいます。「マリア」とその名を呼んでくださいます。マリアは思わず、「ラボニ」、先生、わたしの先生とイエスさまのみ声に答えてしまいます。そのときマリアははっきりとイエスさまだと分かったのでした。

復活の主イエスさまはマリアにそうしたようにわたしたちにもそうしてくださいます。わたしたちの思う方向、願うようにではありません。わたしたちの思いを超えて、復活のイエスさまの方からわたしたちに近づいてくださいます。そして復活のイエスさまは「安かれ」、「平和があなたがたにあるように」と語りかけ、宣言してくださいます。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-333(主の復活、ハレルヤ)

○ 聖餐式

○ 讃美歌 21-78(わが主よ、ここに)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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2019年4月14日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/171955/ http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/171955/#respond Thu, 09 May 2019 08:19:55 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2345  受難節第6主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-280(馬槽のなかに)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ヨハネによる福音書19:28~30

この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。

そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。

イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

 

○ 讃美歌 21-305(イェスの担った十字架は)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年4月14日郡山教会主日礼拝説教

『主の十字架』<ヨハネによる福音書19:28‐30> 小峰 擁

讃美歌21の「愛するイエス」は、曲も詩もわたしたちの心に強く迫ります。

「1 愛するイエス、何をされて こんなさばき 受けられたか。 どんな罪を おかされたのか、 愛する主は。  2 鞭(むち)打たれ、茨(いばら)の冠(かんむり) かぶせられ 蔑(さげす)まれた。 酸(す)いぶどう酒 十字架の上で 口にされた。……」(讃美歌21‐313番)とイエスさまの十字架の愛が切々と歌われてゆきます。

特に「酸いぶどう酒 十字架の上で 口にされた」というところ、とても強烈な印象が残ります。ヨハネ福音書19章29節のところであります。

さて、その前の聖書の箇所であります28節の「渇(かわ)く」(「わたしは渇く」、「われ渇く」)というところに、きょうわたしたちは注目したいと思います。

「この後(のち)、イエスは、すべてのことが今や成し遂(と)げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。」(ヨハネ19:28)。

この「われ渇く」も、主の「十字架の七言」と呼ばれ、主イエスさまの十字架のときのみことばの中の一つで、「十字架上の第五のことば」になります。

(イエスさまの「十字架の七言」は、(1)ルカ23:34、(2)ルカ23:43、(3)ヨハネ19:26,27、(4)マタイ27:46、(5)ヨハネ19:28、(6)ヨハネ19:30、(7)ルカ23:46です)。

十字架上のイエスさまが「渇く」(「わたしは渇く」、「われ渇く」)といわれたところに、聖書のみことば(詩編22:16、69:22)が成就、実現したとヨハネ福音書は証(あかし)します。

このように聖書は主イエスさまの十字架のお苦しみの中に、イザヤ書53章などに預言されている「苦難の僕(しもべ)」の預言の成就の姿を、十字架の死による罪のあがない、救いを見、キリストの十字架による罪のゆるしの福音の調べを聴(き)きます。

新約聖書の中で、わたしたちの渇きをいやされるイエスさまのことがしばしば告げられています。ヨハネ福音書4章のイエスさまとサマリアの女性との対話の中の永遠に渇くことのないいのちの水の泉のところなどを想い起されるでしょう。また、同じくヨハネ福音書6章のいのちのパン、イエスさまのところに来る者は決して飢えず、渇かないとのみことばを思いだします。ヨハネ黙示録21章、22章のいのちの水の泉、川のみことばもそうです。これらは皆、イエスさまがわたしたちの渇きをいやされるのでした。

けれども、きょうのみことばのヨハネ福音書19章28節だけは、イエスさまが「渇く」、「わたしは渇く」、「われ渇く」とおっしゃられたのでした。

主イエスさまは十字架上で「われ渇く」、「わたしは渇く」と叫ばれます。ここの叫び声の中に、今日(こんにち)も、いまもなお、「われ渇く」「わたしは渇く」とわたしたちの救い主イエスさまが叫ばれ、呼ばれているみ声を、わたしたちは確かに聴くのです。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-311(血しおしたたる)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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2019年4月7日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/170628/ http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/170628/#respond Thu, 09 May 2019 08:06:28 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2341  受難節第5主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-55(人となりたる神のことば)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ヨハネによる福音書16:25~33

「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。

その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。

父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。

わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」

弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。

あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」

イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。

だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。

これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

○ 讃美歌 21-197(ああ主のひとみ)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年4月7日郡山教会主日礼拝説教

『勇気を出しなさい』<ヨハネによる福音書16:25‐33> 小峰 擁

受難節、レントのこのとき、「ああ主は誰(た)がため」という讃美歌の歌詞と曲を思い出します。この讃美歌を歌っていますと、主イエスさまの十字架、主イエスさまのお苦しみのことがわたしたちの心にも迫ってまいります。この讃美歌からも、わたしたちは多くのことを教えられるのではないでしょうか。この讃美歌はこのように歌われます。 「ああ主は誰(た)がため 世にくだりて、 かくまでなやみを うけたまえる。  わがため 十字架に なやみたもう こよなきみ恵み はかりがたし。…… ……   十字架のみもとに こころせまり、 涙にむせびて ただひれ伏す。    なみだも 恵みに むくいがたし、 この身を ささぐる ほかはあらじ。」(讃美歌21‐298番)。

きょうのヨハネによる福音書16章は、十字架の死を目の前にした主イエスさまが「わたしは既に世に勝っている」という勝利の宣言のことばをもって結ばれます。

主イエスさまのこの告別説教(ヨハネによる福音書13‐17章)の基本的な調べは、15章9節以下にありますように、弟子たちをはじめとしてわたしたちが主イエスさまの愛にとどまりなさいというものでした。御父(みちち)が御子(みこ)を愛されたように、主イエスさまはわたしたちのことを愛してくださいます。イエスさまの愛をいただいたわたしたちはイエスさまの掟(おきて)、イエスさまの戒めを守ることによって、主イエスさまの愛の中にとどまるのです。それではイエスさまの掟、戒めとは何でしょうか。

主イエスさまが与えてくださる新しい掟、新しい戒めとは「あなたがたは互いに愛し合いなさい」というものです。イエスさまは十字架の死を目の前にして、何と「あなたがたは互いに愛し合いなさい」ということばを残されます(ヨハネ13:34、35参照)。いつも愛の少ないわたしたちです。イエスさまのこのおことばはほんとうに驚きです。

イエスさまはこのような者の罪をゆるすために、救うために、ご自身のいのちをさしだされます。イエスさまは十字架によってわたしたちのすべての罪を背負われ、ご自身のいのちを捨てられます。多くの人の贖(あがな)いとなられるのです。

きょうのヨハネによる福音書16章16節においてイエスさまは「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」と言われます。弟子たちはこの謎めいたイエスさまのおことばに戸惑います。心が揺れ動きます。しかし主イエスさまはここで「悲しみが喜びに変わる」と言われます(ヨハネ16:20)。イエスさまのみことばは何とすばらしいことでしょうか。わたしたちにはいましばらく悲しみがあるけれど、イエスさまは「悲しみは喜びに変わる」と約束してくださいます。さらに、「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と慰めてくださいます(ヨハネ16:33)。十字架の主イエスさま、復活の主イエスさまこそ、わたしたちの生きるときも、死ぬときも、わたしたちの唯一人の慰め主です。このお方のみを信じ、このお方に心から依り頼みましょう。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-306(あなたもそこにいたのか)

○ 聖餐式

○ 讃美歌 21-78(わが主よ、ここに)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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2019年3月31日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/164941/ http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/164941/#respond Thu, 09 May 2019 07:49:41 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2331  受難節第4主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-18(「心を高くあげよ!」)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ヨハネによる福音書14:1~14

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。

わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」

トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、

イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。

わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。

わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。

わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。

わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

 

○ 讃美歌 21-298(ああ主は誰がため)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年3月31日郡山教会主日礼拝説教

『神を信じなさい』<ヨハネによる福音書14:1‐14> 小峰 擁

ヨハネによる福音書14章は受難節・レントのこのとき特に惹かれる聖書の箇所です。「心を騒がせるな。神を信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。……」(ヨハネ14:1‐3)。

このみことばを聴きますとき何故かわたしたちの心は安らぐのではないでしょうか。

イエスさまはここで「信じなさい」とのおことばを繰り返されています(1、11、12

節)。「信んじる(ピスチューオー)」という語はヨハネによる福音書に多く用いられます。

イエスさまはわたしたちに向かって「神を信じなさい。そして、わたしを信じなさい」

と語りかけてくださいます。いつもいろいろなことで心乱れ、心配性なわたしたちです。

そんなとき、主イエスさまが「わたしを信じなさい」と、み声をかけていただきますと

わたしたちは何ともいえぬ慰めと安らぎを与えられます。

きょうのみことばの先の18節のところもそうです。個人訳になりますが、前田護郎

先生の訳ですと、このようになります。

「わたしはあなた方を孤児(みなしご)のままではおかない。またあなた方のところ

に来る。」(前田護郎訳、ヨハネ14:18)。

わたしたちはイエスさまのこのみことばにすべての望みをかけます。心の依り頼み(よ

りたのみ)といたします。

15節以下のところもそうです。ここの前田護郎訳の見出しは「助け主(たすけぬし)、平和」となっていました。26節も、27節も、とても感動的です。

「しかしのちに助け主、すなわち父がわが名で送られる聖霊があなた方にすべてを教え、

わたしがいったことすべてを思い出させよう。わたしはあなた方に平和を残す、わが平

和をあなた方に与える。しかしわたしが与えるのは世の与えるようではない。あなた方

の心を騒がせるな、気落ちするな。」(前田護郎訳、ヨハネ14:26,27)。

ほんとうになぜかはっとさせられます。琵琶(びわ)のさざ波、猪苗代のさざ波のよう

な日々を過ごすわたしたちです。

しかし、そうしたわたしたちの中心におられるこのお方こそ、わたしたちの救い主、

十字架の主、復活の主イエス・キリストにほかなりません。

またこのお方は「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)と語

りかけてくださいます。

主イエスさまは弟子たちに向けて、そしてわたしたちに向けて、「わたしは道であり、

真理であり、命である。」と語りかけられます。何と十字架におつきになる直ぐ前の出来事です。十字架の主、復活の主イエスさまのことを想い起こし、静かに祈りましょう。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-531(主イェスこそわが望み)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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2019年3月24日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/164434/ http://www.uccj-kc.jp/2019/05/09/164434/#respond Thu, 09 May 2019 07:44:34 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2325  受難節第3主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-58(み言葉をください)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ヨハネによる福音書13:36~38

シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」

ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」

イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」

 

○ 讃美歌 21-313(愛するイェス)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2019年3月24日郡山教会主日礼拝説教

『主よ、どこへ行かれるのですか』<ヨハネによる福音書13:36‐38> 小峰 擁

『こどもさんびか』に「主にしたがいゆくは……」と歌い始める讃美歌があります。

「主に従いゆくは」とは、みことばに素直に聴(き)き従い、喜びをもって主に仕えてゆく信仰です。まっすぐに主の道を歩んでゆく信仰の人生を言い表しています。

ところで、もうひとつ気になっているのは申命記28章45節です。たまたま聖書の勉強会(申命記研究会)で担当した聖書の箇所なのですが、ずっと気になっています。

「これらの呪いはことごとくあなたに臨み、あなたを追いかけ、あなたを襲って滅びに至らせる。あなたの神、主の声に聞き従わず、命じられた戒めと掟を守らなかったからである。」(聖書協会共同訳、申命記28:45)。

申命記28章全体もそうですが、ここも何とも怖ろしいような表現です。しかし、ここにはわたしたち人間がどうしても避けては通れなかった信仰の人生の出来事への深い反省が述べられているのではないでしょうか。「あなたの神、主の声に聴き従わなかったから」であると、低くされて、神さまへの悔い改め、主イエスさまへの立ち帰りの心がここに記されます。ここのところのアラム語(タルグム)は「あなたの神、主のメムラ(みことば)を受け入れなかったから」となっていて、御言葉に対する深い反省としてとらえられ、より内面的に解釈されています。つまり過去の信仰的な過ちへの大いなる反省の心をもって「みことばを受け入れる」信仰への悔い改め、立ち帰りとして、このように表現されているのではないでしょうか。さらにこれらの奥には、神さまの深い憐れみ、いつくしみ、ゆるしが隠されています。神さまの愛、いつくしみ、ゆるしです。

きょうのヨハネによる福音書13章36‐38節のみことばの背後にあるものも、このような悔い改めの信仰ではないでしょうか。わたしたちは、ここのペトロの姿の中に過去の自分の姿を発見するのではないでしょうか。

ここでペトロは軽々しく、さも自分の力で、主イエスさまにどこまでも、いつまでもついてゆくような調子のよいことを言っています。けれども、実際は鶏が鳴く前に、たちまち三度も「わたしはその人を知らない」と、主を否(いな)んでしまいます。これはまったくわたしたちのありのままの姿ではないでしょうか。ペトロは主が十字架につけられたときその前にもう早々と三度も主を否んでしまいます。わたしたちもそうです。

ペトロがほんとうの意味で、主に従うようになったのは、復活の主イエスさまにお会いしてからです。自分の力ではなく、復活の主イエスさまにお会いして、聖霊の力をいただいてからです。

主イエスさまの十字架と復活の愛の光に包まれることによって、聖霊の力によって、ペトロは真実の悔い改め、主イエスさまへと立ち帰ることができたのです。

わたしたちも主イエスさまの十字架と復活によってひらかれたこの新しいいのちの道を、神さまの道を、ともにまっすぐに歩んでまいりましょう。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-532(やすかれ、わがこころよ)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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