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日本キリスト教団(日本基督教団)郡山教会公式サイト http://www.uccj-kc.jp 福島県郡山市にある、日本キリスト教団(日本基督教団)に属するプロテスタントの教会。主日礼拝は、毎週日曜日10時30分からです。どなたでもおいでください。教会にはあなたの席が用意されています。|United Church of Christ in Japan Koriyama Church Official Site. Sun, 18 Mar 2018 05:46:05 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.8.6 http://www.uccj-kc.jp/wp/wp-content/uploads/2014/03/cropped--32x32.jpg 日本キリスト教団(日本基督教団)郡山教会公式サイト http://www.uccj-kc.jp 32 32 2018年3月11日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/142056/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/142056/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:20:56 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1882  受難節第4主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-140(み神のすまいは)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙3章1~8節 新約聖書P.276

  • 1:では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。
    2:それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。
    3:それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。
  • 4:決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。
  • 5:しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。
  • 6:決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。
  • 7:またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。
  • 8:それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。
  • :占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」

祈祷

讃美歌 21-313(愛するイェス)

説教

長年わたしが愛用してきた織田昭先生の『新約聖書ギリシャ語小辞書』には一枚の小さなしおりがはさんであります。なぜかずっと、数十年、ときどきこのしおりを勉強などで疲れたときじっとながめることにしています。この小さなしおりには赤いつつじの花と聖句の書の写真が載っています。やわらかな字でこのよう記されています。

「あなたがたの 思い煩いを いっさい神に ゆだねなさい 神があなたがたの ことを 心配してくださるからです ペテロの手紙第一 五章七節」

何だかとても小さなことなのですが、わたしは何遍もこのしおりをじっと眺めながらいままでどれだけ慰められてきたか知れません。このみことばには、疲れた魂を慰める力があるようです。

もうひとつ、このしおりにまつわる話しなのですが、このしおりをいただいたキリスト教の同じ書店で、しばらく後に偶然、わたしの高校時代の友人と出会うことになります。この友人とは高校時代、お昼ご飯や何かの時など、よく校舎の屋上で話したり、パンをかじったりしていた友人でした。大学は別々になりましたので、その後何年か会うことはありませんでした。その友人はこの書店で店長として働いていたのです。どういうわけか大学時代に聖書を読むようになり、クリスチャンになったのだそうです。わたしも、同じく大学時代の終わりに、やっと決意をして洗礼を受けることを特別に教会にお願いしてクリスチャンとなった頃のことでした。なんだかとても不思議でした。お互いに高校時代はそんな話はまったくしたことがありませんでした。それでも、愛なる神さまはとても不思議なことをなさるのだということを互いに話し合い、喜び合いました。

きょうの聖書ローマ書3章1節以下で、神さまの「真実」、神さまの「まこと(誠実)」ということが出てまいります。この「神さまのまこと」の「まこと」(ピスティス)はギリシャ語だとふつう「信仰」と訳されます。ここでは「誠実」、「真実」、「まこと」の意です。4,7節の「真実」(アレーセース)は、語は違いますがやはり3節の「まこと」(ピスティス)と同じ意味になります。この神さまの「まこと」がここの問題の中心です。前田護郎訳では3.4節をこのように訳しています。

「それはどういうことでしょう。あるものが不信であったとしても、その不信は神のまことを無にしますか。断じて否です。人はすべて偽りでも神は真実とすべきです。……」(前田護郎訳『新約聖書』ローマ書3:3、4)。

なぜかわたしたち人間のありさまと重ね合わさせて考えるときほんとうにこのみことばはわたしたち自身の救いの問題と深くかかわってきます。それは決して他人事ではありません。自分は不真実だとしても、神さまは真実であるということを知って洗礼を受けたころのことがなつかしく思い出されます。いまこのことが問われています。わたしたちはイエスさまを信ずる信仰において、赤子のように純粋でありたいと思います。

 

 

祈祷

讃美歌 21-463(わが行くみち)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

3月18日 受難節第5主日礼拝「平和への道」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙3章9~20節 新約聖書P.276~277

 

讃美歌 讃美歌21-194, 21-300,21-566  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 3月15日  10:30~  夕礼拝・聖書研究 3月15日  19:30~    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/142056/feed/ 0
2018年3月4日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/141030/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/141030/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:10:30 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1879  受難節第3主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-197(ああ主のひとみ)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙2章17~29節 新約聖書P.275~P.276

  • 17:ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、
    18:その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。
    19:また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負しています。
    20:それならば、あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。「盗むな」と説きながら、盗むのですか。
     21:ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
    22:すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
    23:人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
    24:ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
    25:神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
    26:このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
    27:では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
    28:なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
    29:それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。

祈祷

讃美歌 21-298(ああ主は誰がため)

説教

「主のまことはありそのいわ」という讃美歌85番の歌詞のことを思い出しています。

「主の真理(まこと)は 荒磯(ありそ)の岩、 さかまく波にも などか動かん。

くすしきかな あまつみ神、 げに尊きかな とこしえの主。……」(讃美歌85番1節)

と歌ってまいります。

また、同じくこの讃美歌の3節にありますように、「うつりゆく世、さだめなき身、ただ主に頼りて 安きをぞえん。……」(讃美歌85番3節)というところも、とても考えさせられます。

わたしたちの人生にとって、ほんとうに大切なものとはいったい何なのでしょうか。

ほんとうに大切なもの、ほんとうに確かなものとは、わたしたちの真実ではありません。神さまの真実、キリストの真実こそ、わたしたちの人生にとってなくてならぬもの、ほんとうに大切なもの、確かなものなのです。わたしたちは、このことを教えられます。まことの信仰の心がここに明らかにされているのではないでしょうか。

ローマの信徒への手紙2章にはこのように記されています。「律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです」(ローマ2:13)。

この13節はここのところを理解する上でとても大切なところでありましょう。

さらに23節には、「あなたは律法を誇りながら、律法を破って神を侮っている」(ローマ2:23)とあります。これらのみことばは、わたしたちの心にも鋭くつきささってくるのではないでしょうか。

前田護郎訳『新約聖書』には、ローマ書2章12節から16節までは「知らずに守る律法」という見出しがついていました。同じく2章17節から29節までは「知って守らぬ律法」という見出しがついています。

律法はどこまでも神さまの律法です。ですから、律法はユダヤ人だけのものではありません。もし、この律法を異邦人が律法の通り行えば、それが律法になるというのです。パウロは律法を持つユダヤ人の特権意識をこのように批判します。わたしたちも深く考えさせられるみことばではないでしょうか。

この先のローマ書3章には、ある者が不真実であっても、その不真実は神さまの真実を無にしないということが記されています(ローマ3:3)。人が信じる真実ではなく、神さまの真実、神さまのひとり子イエス・キリストの真実こそ、まことです。

地上でイエスさまだけが神さまに対して真実、まことです。人の罪を負って十字架につかれたイエスさまのまこと、真実によって、神さまは罪ある人に神さまの義を恵まれたのです。わたしたちにはイエスさまの十字架の愛にすがるしか救いの道はありません。

受難節のこのときを、主イエスさまの十字架と復活の福音を思い、祈りつつ、歩んでまいりましょう。

 

祈祷

讃美歌 21-457(神はわが力)

聖餐式

讃美歌 21-81(主の食卓を囲み)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

3月11日 受難節第4主日礼拝「神の真実」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙3章1~8節 新約聖書P.276

 

讃美歌 讃美歌21-140, 21-313,21-463  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 3月8日  10:30~  夕礼拝・聖書研究 3月8日  19:30~    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/141030/feed/ 0
2018年2月25日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140914/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140914/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:09:14 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1876  受難節第2主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-51(愛するイェスよ)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙2章9~16節 新約聖書P.275

9:すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、

10:すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。

  • 11:神は人を分け隔てなさいません。
    12:律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。
    13:律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
    14:たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
    15:こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。
    16:そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。

祈祷

讃美歌 21-297(栄えの主イェスの)

説教

「涙と共に種を蒔く人は

喜びの歌と共に刈り入れる。

種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は

束ねた穂を背負い

喜びの歌を歌いながら帰ってくる。」(詩編126:5,6)。

わたしたちはなぜかこのような光景が目に浮かぶようです。わたしたちも、わたしたちの人生においてこのことと同じようなことを経験しているのではないでしょうか。

さて、ローマの信徒への手紙2章ですが、前田護郎訳はここをこのように訳します。

「お考えなさい、このようようなことをする人々を裁き、自ら同じことをする人よ、あなたは神の裁きをのがれるでしょうか。それとも、彼の善意と寛容と忍耐との豊かさをあなどって、神のあわれみがあなたを悔い改めに導くのがわかりませんか」(前田護郎訳『新約聖書』ローマ書2:3.4)と。

実は、ローマの信徒への手紙の2章3,4節、この両節は互いに相補います。

「神の裁きをおそれるものは神のあわれみを信ずるよう導かれる」(同上訳注)のです。

つまり、ユダヤ人は異邦人への裁きを知っているのだから、自分たちへの神の裁きも知るべきである、というのがここの趣旨でありましょう。

神さまの裁きはわたしたちの悔い改め、神さまへの立ち帰りをもたらします。

わたしたちも神さまの裁きをおそれ、神さまのあわれみにひたすらすがる信仰の心を与えられたいと思います。

しかし、神さまへの立ち帰り、悔い改めは、わたしたちの力によるのではありません。

イエスさまのあの放蕩息子の帰還、立ち帰りの物語(ルカ15章)を思い出してください。ここで息子は気まぐれにふらっと父のもとに帰ってきたのではありません(ルカ15:18)。そこには長年の父親の愛の祈りがあったのです。この祈りがあってこそ、息子のふるさとへの帰還もあったのです。その結果、父への立ち帰りも起こったのです。

天の父なる神さまのあわれみ、愛こそ悔い改め、立ち帰りを起こすのです。

つまり、聖書のいう悔い改め、立ち帰りとは、神さまへの向き変り、立ち帰りなのです。イエス・キリストへの向き変り、立ち帰りなのです。神さまのあわれみ、愛こそ悔い改め、立ち帰りを起こすのです。イエスさまのあわれみ、愛こそ悔い改め、立ち帰りを起こすのです。

わたしたちにも、いつでも、どこでも、たとえどのようなことがあったとしても、神さまへと、イエスさまへと向き変わる、立ち帰ることがゆるされています。わたしたちはこのことを知って、ほんとうに安心いたします。天の父なる神さまに、主イエスさまに、すべてをゆだねましょう。喜びの歌を歌いつつ新しい人生を歩んでまいりましょう。

 

 

 

 

 

祈祷

讃美歌 21-458(信仰こそ旅路を)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

3月4日 受難節第3主日礼拝「信仰と心の割礼」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙2章17~29節 新約聖書P.275~P.276

 

讃美歌 讃美歌21-197, 21-298,21-457,21-81  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 3月1日  休会  夕礼拝・聖書研究 3月1日  休会    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140914/feed/ 0
2018年2月18日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140817/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140817/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:08:17 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1872  受難節第1主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-60(どんなにちいさいひとりでも)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙2章1~8節 新約聖書P.274~P.275

  • 1:だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
    2:神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
    3:このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
    4:あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
    5:あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。
    6:神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
    7:すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、
    8:反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります

祈祷

讃美歌 21-449(千歳の岩よ)

説教

わたしたちは「神の慈愛と寛容と忍耐」というみことばを聞くとき、さまざまなことが思い起こされるのではないでしょうか。

シベリウスの交響詩「フィンランディア」からとられた讃美歌「やすかれわがこころよ」では、「…おおしく忍び耐えよ…」、「…父なるあまつかみのみむねに委ねまつれ…」と呼びかけています(讃美歌298番、讃美歌21‐532番)。

わたしたちも、天の父なる神さまを見上げて、いたみや苦しみをもおおしく忍び耐えることがこの歌からも教えられているのでしょう。

それから、もうひとつ思い出されるのは、八木重吉の「心よ」という詩です。

「こころよ では いっておいで

しかし また もどっておいでね やっぱり ここが いいのだに

こころよ では 行っておいで」

(佐古純一郎編『八木重吉信仰詩集 「貧しき信徒」』より)。

八木重吉がうたいます、心がもう一度もどって行く場所である「ここ」とはいったいどこのことなのでしょうか。

わたしたちにはそれぞれにイエスさまという信仰のふるさと、心のふるさとのようなところがあるのかもしれません。わたしたちは、ここへともう一度もどってゆくのです。

きょうの「神の慈愛と寛容と忍耐」という説教題はローマ書2章4節のみことばからとられたものです。

使徒パウロは(ローマの)ユダヤ人たちに向かって神さまの慈愛と寛容と忍耐がいかに豊かに与えられているのか、ということをいうのです。それと同時に、ユダヤ人ではない人々、すなわち異邦人、その代表としてのギリシア人についても言及いたします。

神さまのみ前に、キリストのみ前にユダヤ人も、ギリシア人も同じです。神さまのみ前に、キリストのみ前に、ユダヤ人も、ギリシア人もすべての人は神さまのみ前に立つ人間として平等なのです。このようなこともここでいわれているのではないでしょうか。ここでも、「ユダヤ人はもとよりギリシア人にも」という句が繰り返されます(9,10節、なお1:16も参照)。

すなわち、すべての人に神さまの怒りは示されている、啓示されていますが、それと同様に、実に、すべての人にキリストの十字架による救いの福音が、神さまの愛が、神さまの義が、神さまの力が示されている、啓示されているのです(1:16、17)。ローマ書1章16,17節のみことばの通りです。「神は人を分け隔てなさいません」(2:11)。わたしたちはこのことを知って、心喜び、安心いたします。神さまを信じ、主イエスさまを信じ、わたしたちは心のふるさとへともどってゆくのです。わたしたちはいつも、ここへともどってゆきましょう。きのうも、きょうも、あすも、もどってゆくのです。

 

 

 

 

祈祷

讃美歌 21-543(キリストの前に)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

2月25日 受難節第2主日礼拝「わたしの福音」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙2章9~17節 新約聖書P.275

 

讃美歌 讃美歌21-51, 21-297,21-458  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 2月22日  10:30~  夕礼拝・聖書研究 2月22日  19:30~    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140817/feed/ 0
2018年2月11日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140624/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140624/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:06:24 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1868  降誕節第7主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-204(よろこびの日よ)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章24~32節 新約聖書P.274

  • 24:そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
  • 25:神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。
  • 26:それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、
    27:同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。
    28:彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
  • 29:あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、
    30:人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、
    31:無知、不誠実、無情、無慈悲です。
  • 32:彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。

祈祷

讃美歌 21-515(きみのたまものと)

説教

林久美さんという方の「私は知っています」という詩があります。

「私は体が不自由です でも私は知っています 神の力でいつか自由になれることを― その日が来たら 私は大よろこびすることでしょう。 私は生まれてから一度も歩いたことがありません でも私は知っています 父母兄妹のあたたかい背中を― その背に負われてどこでも行かれます。 私はものをいえません でも私は知っています 悪口やきつい言葉をいわないですむことを― …… …… その中で私は生きています」(林久美「私は知っています」-島崎光正著『神は見て良しとされた』より)。

この詩にわたしたちも何かはっとさせられます。人間の美しい心とは何なのか、人の心のあたたかさとは何なのかというようなことを考えさせられるような詩です。

ローマの信徒への手紙1章後半のきょうの箇所を読んでいますと、なぜか暗い夜道を歩いているような気がしてくるかもしれません。ずっと人間の罪について書かれているからです。けれども、わたしたちは1章16節、17節にありますようなイエスさまの福音の光を見失ってはなりません。キリストの使徒パウロはイエスさまの十字架の福音、愛とゆるしの神さまのご恩寵(おんちょう)、恵みの福音をこれから語りだすためにどうしてもわたしたち人間の罪について今しっかりと語らざるを得なかったのでしょう。

新共同訳や前田護郎訳『新約聖書』の訳文にはとても良い見出しがついています。わたしたちが聖書のみことばを理解するためにとても助けられます。ローマの信徒への手紙1章18‐32節の前田護郎訳の見出しは「異邦人への神の怒り」となっていました。そしてそれは次の2章1‐11節の見出し「ユダヤ人への神の怒り」へと続いてゆきます。

ここで考えさせられますのは、2章11節に、神さまはユダヤ人と異邦人ということで人を偏り見られないということです。神さまは、愛ということでも、怒りということでも、人を偏り見られない、神さまには偏見がないということがここに示されています。ユダヤ人ではなく、異邦人のひとりであるわたしたちにとっても、ここはとても驚くべきところなのではないでしょうか。これからパウロはローマの信徒への手紙を書き進め、うわべのユダヤ人ではなく、隠れたところにあるユダヤ人こそ、文字によらず、霊による心の割礼こそ、神さまの救いにとってはるかに大切で、重要であるということなどをしだいに明らかにしてゆきます。イエス・キリストの信仰と心の割礼ということです。

その前に、きょうの1章24‐32節では、心の欲によって人間が汚されてゆく姿が描かれます。29節‐31節は「罪の目録」のようなところですが、パウロの手紙にはしばしばこのようなところが登場いたします(ローマ13:13、ガラテヤ5:1以下など)。

わたしたちはこのような罪の暗闇、漆黒の闇夜から主イエスさまの十字架のあがない、十字架の血潮によって助け出され、救われ、罪ゆるされたのです。ここに神さまの愛があります。ですから、主への感謝と讃美のうちに日々を大切に歩んでまいりましょう。

 

 

 

祈祷

讃美歌 21-531(主イェスこそが望み)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

2月18日 降誕節第8主日礼拝「神も慈愛と寛容と忍耐」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙2章1~8節 新約聖書P.274~P.275

 

讃美歌 讃美歌21-60, 21-449,21-543  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 2月15日  10:30~  夕礼拝・聖書研究 2月15日  19:30~    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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2018年2月4日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140550/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140550/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:05:50 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1848  降誕節第6主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-155(山べにむかいて)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章18~23節 新約聖書P.274

  • 18:不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
    19:なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
    20:世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
  • 21:なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
    22:自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
    23:滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。

祈祷

讃美歌 21-303(丘の上の主の十字架)

説教

キリストの使徒であるパウロによって書かれました「ローマの信徒への手紙」(ローマ書)は、きちんと筋道に従って書かれてゆきます。その日本語の訳文にはあまりよく言い表されていませんが、原文(ギリシャ語新約聖書本文)では1章の16節でも、17節でも、「というのは(ガル)…」が何度も繰り返されます。18節でもそうです。そして、19節20節21節でも、やはり「というのは(ガル)…」と、さらに「なぜなら(ディオティ)…」が加えられて繰り返されてゆきます。

ところで、問題はそこで語られてゆく内容です。パウロは18節で人間のことを語るのに、神さまの怒りが「啓示される、現される、示される」というのです。もっと正確には、いま神さまの怒りが「啓示されつつある、現されつつある、示されつつある」のだというのです。ここの17節と18節との関連でいえば、なんと独一の神さまから、あるときはイエスさまの福音において神さまの義が啓示されつつある(17節)のだけれども、またあるときには人間の罪に対して神さまの怒りが啓示されつつある(18節)のだ、というのです。このことを聞いて、正直、わたしたちは困り果ててしまうのではないでしょうか。神さまの義や愛が啓示されるということはよくわかるけれども、神さまの怒りが啓示されるというのはどうもありがたくない、よくわからないと思ってしまうのではないでしょうか。どうもここのところは謎のようなところかもしれません。

内村鑑三は『ロマ書の研究』のなかでこのようなことを言っています。「しかしながら福音はまづ罪悪の指摘をもって始まる。罪の指摘あり、しかして罪の悔い改めありし後(のち)ならでは、救いに与えらるる素地がない。輝くごとき福音の美屋は陰惨なる罪戻指摘(ざいれいしてき)の土台の上に立つ。うるわしき花は黒き土より出(い)づるほかはない」(内村鑑三著『ロマ書の研究』)と。わたしたちも深く考えさせられます。

わたしたちはイエスさまの十字架の上には神さまのはげしい怒りとともに、神さまの深い深い愛があったことを忘れてはならないでしょう。わたしたちの救い主イエス・キリストは十字架の上で神さまの怒りをわたしたちに代わって一身に受けられたのです。

イエスさまの十字架の背後には、つまり神さまのはげしい怒りの背後には、深い深い神さまの愛が隠されています。イエスさまの十字架には神さまの愛が隠されています。

このように、ローマ書1章にはイエスさまの福音が最初に短く語られます(16,17節)。そしてすぐ後に人間の罪についてたくさん語られます。このことはわたしたちにはとてもすぐにはわからないようなことかもしれません。しかし、神さまのみことばの中には、そしてこのようなみことばの中でさえも神さまの深い深い愛が隠されています。わたしたちのたくさんの罪にもかかわらず、神さまは独り子イエス・キリストの十字架のあがないのゆえに、わたしたちを愛し、ゆるしてくださいました。わたしたちは神さまのこの大きな愛、み恵み、ご恩寵を感謝しつつ、祈りつつ、大切に歩んでまいりましょう。

 

 

祈祷

讃美歌 21-529(主よ、わが身を)

聖餐式

讃美歌 21-81(主の食卓を囲み)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

2月11日 降誕節第7主日礼拝「造り主を永遠にほめたたえよ」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章24~32節 新約聖書P.274

 

讃美歌 讃美歌21-240, 21-515,21-531  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 1月6日  10:00~(福島希望教会)  夕礼拝・聖書研究 1月8日  19:30~    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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2018年1月28日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140438/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140438/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:04:38 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1849  降誕節第5主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-140(み神のみまいは)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章18~32節 新約聖書P.274

  • 18:不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
    19:なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
    20:世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
     21:なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
    22:自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
    23:滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
    24:そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
    25:神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。
    26:それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、
    27:同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。
    28:彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
    29:あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、
    30:人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、
    31:無知、不誠実、無情、無慈悲です。
    32:彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。

祈祷

讃美歌 21-280(馬槽のなかに)

説教

きょうのローマの信徒への手紙1章18節の「現される」という語は、実は原文(ギリシャ語新約聖書の本文)では直前の17節の「啓示された」と同じです。「示される、啓示される、現される」(アポカルュプトー)という意味の動詞です。

このローマ書1章17節に言い表された福音は、内容の点では3章21~31へと続きます。「…ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です」(ローマ3:21,22)と続きます。

すなわち、主イエス・キリストの十字架と復活の福音を受け入れ、信じる者は、神さまの前に義人となるということです。この世に現された神さまの義を信ずる者に無償で与えられた福音として伝えられます。

しかし、パウロはこの手紙でイエス・キリストの福音を宣(の)べ伝える前に、どうしても、わたしたち人間の罪について、この世の暗闇やその罪の姿をはっきりと示さずにはおれませんでした。それはわたしたちの心の奥にもあります人間の暗さ、心の闇とも無関係ではないと思います。夜明け前の漆黒の闇のような人間の現実であるのかもしれません。それゆえ、「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されました」(18節)というのです。

パウロは人間の救いにならないものを神さまの怒りの啓示としてここにあげています。天から神さまの怒りが人間の不信心、不義にたいして現されたというのです。

しかし、ローマの信徒への手紙でパウロがいちばん言いたいのは、主イエス・キリストの十字架と復活の福音です。わたしたちの救い主イエス・キリストによって、うれしい知らせ、福音が与えられたことを言いたいのです。ただ、その前にどうしても人間の罪という現実についても触れずにはおれないということでしょう。

そこで、パウロは1章17,18節で、まずこの手紙でいちばん伝えたい主イエス・キリストの十字架と復活の福音について大胆に提示します。そして、それを語りながらもすぐに、わたしたちの罪の現実について触れざるを得ませんでした。それはわたしたちの罪は主イエス・キリストの十字架によってゆるされたという大きな喜びの思いが背後にあってこそこのように言うことができたのだと思います。ここでふと、病いのために両手両足のみか両目をもうばわれた玉木愛子さんの句を思い出します。玉木愛子さんが天の神さまを仰ぎ「明(あ)け易(やす)し眞夜(まよ)の祈りと思ひ(い)しに」と歌った句を思い出します。人間の苦しみや深い絶望を経て、神さまを信ずるところからくる、神さまの愛によって変えられた、明るく美しい感謝の歌です。わたしたちも主イエスさまを心から信じて、わたしたちの悲しみや嘆きの歌、絶望の歌を、神さまの大きな愛によって、感謝の歌、讃美の歌へと変えていただけますよう祈ってゆきましょう。

 

 

祈祷

讃美歌 21-516(主を招く声が)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

2月4日 降誕節第6主日礼拝「彼らには弁解の余地がありません」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章18~23節 新約聖書P.274

 

讃美歌 讃美歌21-155, 21-303,21-529,21-81  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 2月1日  10:30~  夕礼拝・聖書研究 休会    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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2018年1月21日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140301/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140301/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:03:01 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1851  降誕節第4主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-17(聖なる主の美しさと)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章16~17節 新約聖書P.273~P.274

 

  • 16:わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
    17:福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

祈祷

讃美歌 21-360(人の目には)

説教

「丘の上の主の十字架…」と歌い始める讃美歌があります(讃美歌21-303「丘の上の主の十字架」)。この讃美歌を歌っていると、わたしたちはとても心を打たれます。

胡美芳さんが歌うテープをずっと昔、わたしも何度も何度も繰り返し聞いていました。

「丘の上の 主の十字架…」、「世の人びと あざけるとも…」、「あらけずりの 主の十字架、…」、「悩みも死も なにかはあらん、…」と歌っていきます。

各節ともリフレイン(くりかえし)の「世の栄え うちすて 十字架にすがりて ひとすじにわれゆかん、 み救いに入(い)るまで。」が入ります。

主の十字架の慕わしさを明るく、美しく、力強く歌うこの讃美歌は、なぜかきょうのローマ書のみことばにぴったりのように思えてきます。

きょうの聖書はパウロによって書かれたこのローマ書を代表するような箇所です。

ローマの信徒への手紙1章16‐17節では、いきなり信仰の中心問題である「神の義」、「福音」の問題に入っています。

「神の義」、「福音」はどこまでも深く主の十字架と復活の出来事に根ざしています。

きょうの説教題を新共同訳聖書の小見出しのように「福音の力」としましたが、まさにその通りです。

さらにいうなら、「福音の力」とは主の「十字架の力」、「復活の力」なのです。

きょうのみことばは、どんなに恥となってもイエスさまの十字架と復活の福音をわたしは告白しますということがいわれています。

同じくパウロの手紙のコリントの信徒への手紙一1章18節にもありますように、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」ということです。

わたしたちの罪からの救いのために、どんなに恥であるか知れない十字架の死をとげられた主イエスさまがここにおられます。

わたしはこの主イエスさまが神の子、神さまのひとり子であると心から信じます、というのがここの箇所でいちばん言いたいことです。ここのところの心です。

それはこの世にとってはどんなにか恥、恥辱でありましょう。どんなにか愚かでさえあるかもしれません。

しかし、ここにこそ、主イエス・キリストの十字架と復活の出来事にこそ神さまの力が現れます、これこそ福音の力です、というのです。

ですから、わたしたちも「わたしは福音を恥としない」といえるようにさせられたいと思います。

わたしたちも「わたしは福音を恥としない」といえるようになりたい、むしろ神さまの力によって、福音の力によってそのようにさせられますように祈ってまいりましょう。

 

 

祈祷

讃美歌 21-457(神はわが力)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

1月18日 降誕節第4主日礼拝「神の永遠の力」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章18~32節 新約聖書P.274

 

讃美歌 讃美歌21-140, 21-280,21-516  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 1月25日  10:30~  夕礼拝・聖書研究 1月25日  19:30~    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140301/feed/ 0
2018年1月14日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140202/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140202/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:02:02 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1850  降誕節第3主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-279(ふるさとを離れて遠く)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章8~15節 新約聖書P.273

  • 8:まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
    9:わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、
    10:何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
    11:あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。
    12:あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。
    13:兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。
    14:わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。
    15:それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。

祈祷

讃美歌 21-280(馬槽のなかに)

説教

以前、東北教区の諸教会の間に「共励会(きょうれいかい)」という信仰の交わりがあったそうです。共励会はジョン・ウェスレーにはじまるメソディスト教会の信仰の伝統を受け継いだ信仰者の交わりの会であり、広い意味で郡山教会もこうした信仰の伝統、遺産を受け継いでいます。もっとも、郡山教会ではさまざまな教派的伝統を背景にもっていらっしゃる方も多くありますので、実際たくさんの信仰の伝統と遺産がここ郡山教会の中にはある、流れているといってよいのではないでしょうか。

わたしたちは礼拝の中で、「日本基督教団信仰告白」を告白しています。この「日本基督教団信仰告白」は世界のキリスト教会においても歴史的に共通する正統的、普遍的なキリスト教会の信仰を言い表す「使徒信条」を中心とした信仰告白です。日本における代表的な福音主義教会(プロテスタント教会)の信仰告白であるということができます。わたしたち郡山教会は、この「日本基督教団信仰告白」を告白することによって代々の教会とともに、世界じゅうの教会とともに、信仰的に結び合わされてゆく、一つになってゆくのでありましょう。やはり大切なのは互いに良いところを認め合い、学びあうことなのではないでしょうか。そうした意味でわたしたちにとって、信仰において、祈りにおいて、互いに認め合い、互いに助け合う関係、共に慰め、共に励まし合う関係になってゆくことこそ大切でありましょう。

きょうの聖書、ローマの信徒への手紙1章12節に、口語訳ですと「それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互いの信仰によって、共に励まし合うためにほかならない」とあります。「共に励まし合う」(シュムパラカレオー)という語は「共に(シュム(ン))、側に(パラ)、呼び寄せる(カレオー)」という意味が一緒になって「力づける、共に励ます、共に慰める」という意味になっています。イエスさまを信ずる者が「共に励まし合う、「慰め合う」のです。それはキリストがひとりひとりを励ましてくださる、慰めてくださるということがその根底にあるからです。

「共に励まし合う」ことのその中心には、いつもイエスさまがいてくださいます。キリストの福音があります。福音とは、罪が全くない神さまのひとり子イエスさまが罪びとであるわたしに代わって十字架にかかられ、わたしの罪をみんなわたしの身代わりとなって救ってくださった、罪から解き放ってくださったという、この一点にあります。

使徒パウロはここで「あなたがたにぜひ会いたいのは、霊の賜物(たまもの)をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」(11,12節)と語りかけます。キリストの福音をもう一度何とかして伝えたいのです。互いに主を信じる信仰によって喜び合い、共に励まし合いたいのです。わたしたちも神さまをともに礼拝することによってキリストのみことばによって共に慰められ、共に励まされたいと思います。

 

 

祈祷

讃美歌 21-493(いつくしみ深い)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

1月21日 降誕節第4主日礼拝「福音の力」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章16~17節 新約聖書P.273~P.274

 

讃美歌 讃美歌21-17, 21-360,21-457  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 1月18日  10:30~  夕礼拝・聖書研究 1月18日  19:30~    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140202/feed/ 0
2018年1月7日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140112/ http://www.uccj-kc.jp/2018/03/18/140112/#respond Sun, 18 Mar 2018 05:01:12 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=1869  降誕節第2主日礼拝順序

前奏

招詞

讃美歌  21-278(暗き闇に星光り)

日本基督教団信仰告白

主の祈り

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章1~7節 新約聖書P.273

  • 1:キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――
    2:この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、
    3:御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
    4:聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
    5:わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
    6:この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――
    7:神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

祈祷

讃美歌 21-289(みどりもふかき)

説教

昨日、1月6日はエピファニー、顕現日(公現日)でした。クリスマスから12日後にあたります。異邦への救い主の顕現を祝う教会の祝日です。新約聖書(マタイによる福音書2章1‐12節)や「公現」の讃美歌(讃美歌21‐278「暗き闇に星光り」、‐279「ふるさとを離れて遠く」など)のなかにもありますように、東方の博士たちが星に導かれてキリストを礼拝しに来たことが想い起こされます。

わたしたちはきょうの礼拝説教から「ローマの信徒への手紙」に入ります。わたしたちはしばらくこの手紙を読み進め、ここからイエスさまを信ずる信仰の真理やそれを基礎とした生命(いのち)の重々しさについて教えられたいと思います。

ロマ書(「ローマの信徒への手紙」)の中には、主の異邦人への顕現という意味もあると思われます。異邦人の使徒パウロはこの書簡を未知の教会であるローマにおける聖徒たち(キリストを信じる人々、群れ、教会)に書きおくっています。それにあたってまず彼らにたいする挨拶と書簡をしたためた理由とをもって始めるのです。

この手紙は冒頭から厳粛な神さまのお召し、召命の事実とそれにたいする感激とを述べています。まことに厳粛な挨拶です。しかし、それ以上にキリスト・イエスの僕(しもべ)であり、神さまよりお召し、召命を受けて使徒とされた者であるということ、神さまの福音のために選びわけられたパウロが、この書をローマにいる聖徒たちに書きおくるのだと語りかけます。

神さまの福音、選び、召命によってキリスト・イエスの僕とされているということ、このことは、使徒パウロだけに限りません。わたしたちイエスさまを信ずる者、キリスト者ひとりひとりの信仰の問題でありましょう。

神さまの福音、選び、召命によってキリスト・イエスの僕とされているということは、わたしたちとも深い関係があります。わたしたちひとりひとりにも神さまのお召し、召命、選びがきっとあるはずです。

さらにいうなら、わたしたちひとりひとりも神さまの恵み、主イエスさまの十字架の血潮によってあがなわれ、救われた者として、もうすでにキリスト・イエスの僕とされてしまっているのです。神さまのこの大きな恵みの出来事、救いの出来事を思い出すとき、またわたしたちの人生のなかで神さまがしてくださったいくつもの恵みを一つ一つ数えるとき、そこはかとない大きな喜びにわたしたちの心はいっぱいになります。このことはほんとうに並々ならない神さまの大きな愛の出来事、恵みの出来事だと信じます。

このようなわたしたちは、いま、神さまの選びということ、わたしたちも神さまによって選ばれているのだということ、神さまのお召しとは何のためであったのかということを考えさせられます。わたしたちもみことばによって謙虚にさせられます。神さまに感謝しつつ、祈りつつ、与えられた一日一日を大切に過ごしてまいりたいと思います。

 

祈祷

讃美歌 21-461(みめぐみゆたけき)

献金

献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

祝祷

後奏

報告

次回礼拝予告

1月14日 降誕節第3主日礼拝「キリストの福音」 小峰 擁牧師

聖書朗読 ローマの信徒への手紙1章8~15節 新約聖書P.273

 

讃美歌 讃美歌21-279, 21-280,21-493  です。

今週の集会

祈祷会・聖書研究 1月9日  7:30~ (愛の福音教会)  夕礼拝・聖書研究 1月9日  19:30~    礼拝・集会はどなたでもご参加いただけます。クリスチャンでない方も、教会が初めての方も、どうぞ、おいでください。教会にはあなたの席が用意されています。聖書や讃美歌集は教会に用意がありますので、どうぞご利用ください。 受洗・転会を希望される方は、牧師までお申し出ください。また、壮年会、婦人会、白百合会への入会も、希望される方はお申し出ください。

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