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日本キリスト教団(日本基督教団)郡山教会公式サイト http://www.uccj-kc.jp 福島県郡山市にある、日本キリスト教団(日本基督教団)に属するプロテスタントの教会。主日礼拝は、毎週日曜日10時30分からです。どなたでもおいでください。教会にはあなたの席が用意されています。|United Church of Christ in Japan Koriyama Church Official Site. Thu, 18 Oct 2018 03:50:29 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.8.7 http://www.uccj-kc.jp/wp/wp-content/uploads/2014/03/cropped--32x32.jpg 日本キリスト教団(日本基督教団)郡山教会公式サイト http://www.uccj-kc.jp 32 32 2018年10月7日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2018/10/18/125029/ http://www.uccj-kc.jp/2018/10/18/125029/#respond Thu, 18 Oct 2018 03:50:29 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2114  聖霊降臨節第21主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-6(つくりぬしを賛美します)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙9章30~33節 新約聖書P.287~288

 では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。
 しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。
 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石 につまずいたのです。
 「見よ、わたしはシオンに、
  つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない」
 と書いてあるとおりです。

 

○ 讃美歌 21-198(二ひきのさかなと)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年10月7日郡山教会主日礼拝説教

『信仰によって』<ローマの信徒への手紙9:30‐33>  小峰 擁

讃美歌85番の「主のまことは ありそのいわ」は、その調べも、歌詞も、ともにわたしたちの心を惹きつけます。

特に3節の「……うつりゆく世、 さだめなき身、 ただ主(しゅ)に頼(たよ)りて 安(やす)きをぞえん。 くすしきかな あまつみ神(かみ)、 げに尊(とうと)きかな とこしえの主。……」は、わたしたちの心に迫ってまいります。

(紀元70年、ローマ帝国への抵抗運動でありますユダヤ戦争はユダヤの敗北、大崩壊をもって終結します。その民は離散して(ディアスポラとして)、世界を流浪する民として生きてゆかざるをえなくなりました。

このようなイスラエルの民(ユダヤ人)に対して、わたしたちは何かしら感ずるもの、共感するものがあるからなのでしょうか。)

さて、わたしたちのローマの信徒への手紙(ローマ書)ですが、キリストの使徒パウロは、神さまの契約も、栄光も、約束も、すべてはイスラエルのものであるというみことばをもって(ローマ9:4)、イスラエルの民、ユダヤ人について語っています。

そのときパウロは決してイスラエルと異邦人を互いに無関係なものとして考えていません。

パウロはイスラエル(ユダヤ人)からキリストを信ずるようになった者たちと異邦人からキリストを信ずるようになった者たちを、結び合わされた一つの民、神さまの愛と憐れみによって選ばれた一つの神の民である「わたしたち」として考えています。

ローマ書9章22以下にありますように、「神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけではなく、異邦人の中からも召し出してくださいました」(ローマ9:22‐24)とパウロは叫ぶのでした。

きょうのみことばでも、神さまのみことばは決して無効にならないということを、パウロは語っています(ローマ9:30‐33)。

ここの中にも、わたしたちはキリストの使徒パウロの魂の叫び声を聴(き)きます。

現在、イスラエル(ユダヤ人)はつまずきの石につまずいて、妨(さまた)げの岩にさまたげられています。

けれども、キリストを信ずることによって、将来イスラエル(ユダヤ人)も、救われるのだというのです。

つまずきの石、妨げの岩キリストが、実は、救いの石、救いの岩キリストとなるのだというのです。キリストを信ずる者は辱(はずかし)められることはありません。

ここにわたしたちは信仰による希望のみことばを聴(き)きます。神さまの約束のみことばは決して失望におわることがありません。

わたしたちも愛する家族のために、友のために、祈りつづけましょう。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-361(この世はみな)

○ 聖餐式 配餐

○ 讃美歌 21-78(わが主よ、ここに)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/10/18/125029/feed/ 0
10月21日(日)「こどもれいはい」の御案内 http://www.uccj-kc.jp/2018/10/07/131659/ http://www.uccj-kc.jp/2018/10/07/131659/#respond Sun, 07 Oct 2018 04:16:59 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2124 10月21日(日)に「こどもれいはい」を行います。

○ 開催場所

郡山教会礼拝堂(大人の人も一緒に混ざります)

○ 開催時間

10月21日(日)9時30分から(30分くらい?)

○ その他

小さなお子様、幼稚園児や小学生のお子様の参加を想定しています。

付き添いの大人の方も参加いただけます。

○ 「こどもれいはい」について

郡山教会では、6月から「こどもれいはい」を再開しました。これからも、継続的に毎月第3日曜日に「こどもれいはい」を行う予定です。

「こどもれいはい」は、地域の子供たちが少しでもキリスト教に触れる機会を持てないか、小さなお子様、特に幼稚園児や小学 生のお子様の心の成長に、地域のキリスト教会としての役割はないのか?と言う、郡山教会の中での話し合いの中から再開するこ ととなりました。

お子様の参加をお待ちしています、少しでも多くのお子様が参加されるよう・・・

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http://www.uccj-kc.jp/2018/10/07/131659/feed/ 0
2018年9月30日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/09/30/123558/ http://www.uccj-kc.jp/2018/09/30/123558/#respond Sun, 30 Sep 2018 03:35:58 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2107  聖霊降臨節第20主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-210(来る朝ごとに)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙9章19節~29節 新約聖書P287

ところで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。だれが神の御心にさからうことができようか」と。

人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。

焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。

神はその怒りを示し、その力を知らせようとしておられたが、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれたとすれば、

それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであったとすれば、どうでしょう。

神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。

ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、/愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。

『あなたたちは、わたしの民ではない』/と言われたその場所で、/彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」

また、イザヤはイスラエルについて、叫んでいます。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。

主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。」

それはまた、イザヤがあらかじめこう告げていたとおりです。

「万軍の主がわたしたちに子孫を残されなかったら、

わたしたちはソドムのようになり、

ゴモラのようにされたであろう。」

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-425(こすずめも、くじらも)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年9月30日郡山教会主日礼拝説教

『神の自由』<ローマの信徒への手紙9:19‐29>  小峰 擁

先日、久しぶりに、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために 第二部」を読み直し、感銘を受けました。―「いつまでも同じ考えに、そればかりか同じ思い出にこだわっていてはならない。過ぎ去ったことは済んだこととして、現在(、、)なすべきことを行わなければいけない。処世の知恵とは、ある一事を行い、それをなしとげることだ。あなたがなしうる最もよい、最も正しい事をしようと努めなさい。―しかし、そうしたあとは、それをすて措くがよい。」……「人間の生活は、神の恵みによって、また恵みの中にあって、堅固になっていないかぎり、えてして傲慢になりやすく、また意気阻喪しやすいものであ(る)、……だから、つねに祈りにたよって、自分の力に頼らぬことが、地上の道のうちで、最も確実な道である。」(ヒルティー著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために 第二部』(岩波文庫))と、わたしたちに向かって語りかけています。

ところで、わたしたちのローマの信徒への手紙9章14節以下は、神さまの絶対的な愛と自由が述べられています。

ここで、キリストの使徒パウロは神さまが聖なる民を選ばれる根拠としての神さまの愛について考えています。神さまの愛ということは、神さまのいつくしみ、恵み、憐れみと言い換えてもよいでしょう(申命記7:6‐8、1コリント一1:26‐28参照)。

神さまは愛をもって、いつくしみ、恵み、憐れみをもって神さまの選びの民イスラエルを選ばれます。先ずイスラエルの民(ユダヤ人)が選ばれます。そしてここで何と後先(あとさき)、救いの順番が逆転します。神さまは今やギリシア人をはじめとする異邦人を選ばれます。異邦人がキリストを信ずるようになってすべて救われて、そのあと最後に先に選ばれた筈(はず)のイスラエル(ユダヤ人)がキリストを信じて救われ、神さまのすべての人の救いのご計画が完成します。このようにして、神さまは壮大な救いのご計画を完成されるのだとパウロはここで言いたいのです(ローマ書9—11章参照)。

神さまは絶対的な愛と自由をもって神さまの選びの民を選ばれます。ですから神さまによって造られた者でありますわたしたち人間の側では神さまに対して何ら注文をつけたり、要求をしたりすることはできません。イスラエル(ユダヤ人)も異邦人も、もちろん異邦人であるわたしたちもそうです。ただこのようなイスラエル(ユダヤ人)の選びもずっと大切なのです。神さまの言葉が無効になることは決してありません。神さまは「憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出して」くださったのです(ローマ9:24)。神さまの愛に感謝しつつ、祈りつつ、今を歩みましょう。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-459(飼い主わが主よ)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/09/30/123558/feed/ 0
2018年9月23日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/09/23/152448/ http://www.uccj-kc.jp/2018/09/23/152448/#respond Sun, 23 Sep 2018 06:24:48 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2103  聖霊降臨節第19主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-3(扉を開きて)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙9章14節~18節 新約聖書P286~287

では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。

神はモーセに、

「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、

慈しもうと思う者を慈しむ」

と言っておられます。

従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。

聖書にはファラオについて、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と書いてあります。

このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-393(こころを一つに)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年9月23日郡山教会主日礼拝説教

『神の憐れみ』<ローマの信徒への手紙9:14‐18>  小峰 擁

「かみのめぐみは いとたかし」という讃美歌があります。この讃美歌の曲は次のような歌詞によって美しく歌われます。各節のカタカナの地名もとても印象的です。

「かみのめぐみは いとたかし、 …あさ日匂(にお)える ヘルモンの 山(やま)にもまさり たかきかな。  かみのめぐみは いとふかし、 …ゆう日かがやく

ガリラヤの 海(うみ)にもまさり ふかきかな。  かみのめぐみは いとひろし、

…月すみわたる アラビヤの 原(はら)にもまさり ひろきかな。」(讃美歌492)。

神さまの恵みは、わたしたちの思いを超えて、いと高く、深く、そして広いのです。

きょうのみことば、ローマの信徒への手紙9章14節以下は次のように語りかけます。

「では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。…

…このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。」(ローマ9:14‐18)。

ここでパウロは「決してそうではない。」(新共同訳)、「断じてそうではない。」(口語訳) と、強く否定いたします。前田護郎訳もそうです。「それならわれらは何といいましょう。神に不義がありますか。断じて否です。」(前田護郎訳『新約聖書』ローマ書)。

信仰には神さまの肯定とともに、このような強い否定もあります。けれども、このように、たといわたしたちに誤りがあったとしても、神さまには誤りは決してありません。不義はありません。神さまは、み子イエスさまは、どこまでも義(ただ)しい、義(ぎ)なるお方です。わたしたちの信仰の変わらぬ確信、信頼です。教会の信仰の基本線です。

神さまは全(まった)き、完全な自由をもっておられます。神さまの権威と自由です。そして、神さまの恵みの自由な選びには選びと棄却という二つの側面があります。神さまはある者たちを自由に憐れみ、恵み、選び出します。しかし、ある者たちは選ばれず、捨てられる(棄却される)というのです。ここでわたしたちの心に一つの疑問がわいてまいります。選ばれる者はいいけれども、選ばれない者はいったいどうなるのだろうかと。

けれども、パウロがここで問い、即座に答えています―「それならわれらは何といいましょう。神に不義がありますか。断じて否です」。神さまの救いのご計画は、わたしたちの思いをはるかに超えています。神さまの愛と憐れみ、恵みもそうです。

神さまの愛、憐れみは先に選ばれた者(イスラエル、ユダヤ人)だけではなく、後から選ばれた者(異邦人)に注がれます。神さまの救いのご計画は、ここで後先(あとさき)が逆転します。むしろ後から選ばれた者(異邦人)のほうが憐れまれ、先に救われます。そして最後に先に選ばれた者(イスラエル、ユダヤ人)が救われることによって、神さまの壮大な救いのご計画が完成するというのです。ここに神さまの愛が隠されています。

神さまの愛は、わたしたちの思いを超えていと高く、深く、そして広いのです。キリストの使徒パウロはこのことをわたしたちに何とか伝えようとしています。わたしたちはきょうのみことばからこのことを聴くのです。神さまの愛の光の中を歩みましょう。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-458(信仰こそ旅路を)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/09/23/152448/feed/ 0
2018年9月9日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/09/09/141825/ http://www.uccj-kc.jp/2018/09/09/141825/#respond Sun, 09 Sep 2018 05:18:25 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2084  聖霊降臨節第17主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-227(主の真理は)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙9章6節~13節 新約聖書P286

ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、

また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」

すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。

約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そして、サラには男の子が生まれる」というものでした。

それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。

その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。

「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

 

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-393(こころを一つに)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年9月9日郡山教会主日礼拝説教

『約束のみことば』<ローマの信徒への手紙9:6‐13>  小峰 擁

林 久見(はやし くみ)さんの詩の中に「台風の次の日」という作品があります。

「林 久見 <台風の次の日>  青い柿が落ちています  青い葉っぱが散っています  もう花が終わったダリヤ  今まっ盛りのホウセンカ  これから花をつけようとしているコスモス  みんなみんな倒れています  大荒れに荒れた庭  でもモミジの木の根元に  咲いたばかりのサフランに似た白い花  (命は風より強いのだなあ)  トントン、 トントン  どこの家からも金づちの音がきこえてきます。」

(島崎光正著『神は見て良しとされた』、1991年、新教出版社刊より)。

林 久見さんの静かなまなざしから台風のあとの庭の様子、情景が歌われています。雨にも、風にも負けない命の力強さが歌われています。わたしたちもこの詩を通して、神さまが与えてくださった命について改めて考えさせられるのではないでしょうか。

わたしたちのローマの信徒への手紙9章冒頭にはパウロの心の奥底にあります同族イスラエル、ユダヤ人への憂いと祈りが正直に語られていました(ローマ9:1‐5)。

いままで、ときどきですが「決してそうではない」というような言い回しによって語り進められてきました(ローマ1‐8章(特に6‐7章))。ここもそうです(ローマ9:14)。

異邦人の使徒でありますパウロはローマのキリストを信ずる人々の群れ、ローマのキリストの教会に向かって、この手紙によって懸命にキリストの福音を語っています。

そうした中で、パウロは異邦人の救いだけではなく、どうしても同族ユダヤ人の救いについての神さまのご計画について触れざるを得ませんでした。先ずキリストの福音を信じて異邦人が救われ、そして最後にイスラエル、ユダヤ人もキリストを信ずるようになって救われるという神さまの壮大な救いのご計画が完成されてゆくのです(ローマ9‐11章)。このことについて、いまパウロはこの手紙をローマの教会に書き送り、主の十字架と復活の福音を伝えることによって神さまのご栄光をほめたたえているのです。

「神の言葉は決して効力を失ったわけではありません」(ローマ9:6)。この神さまの約束のみことばをめぐってパウロは異邦人とユダヤ人との救いの関係について懸命に語りだすのです。パウロはここでアブラハムの子孫ということよりも、「約束の言葉」、「約束によって生まれる子供」ということを強調しています。(旧約)聖書の特に創世記などのイスラエルの父祖たちの物語によってこのことを証明しようとしています(創世記21:12、18:10、14、25:23など)。これらを通してまことのイスラエルとは神さまによって選びを受けた者であることが明らかにされてゆきます。神さまの約束のみことばによって選ばれた者がまことのイスラエルであるということが強調されています。

こんなわたしたちであるかもしれません。しかし、このようなわたしたちですけれども、神さまはわたしたちのことを愛し、選んでくださったのです。このことを思うと、わたしたちも、神さまの救いのご計画の大きさに驚かされます。神さまの愛に感謝しつつ、祈りつつ、わたしたち一人ひとりに与えられた道を静かに歩んでまいりましょう。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-504(主よ、み手もて)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/09/09/141825/feed/ 0
2018年8月26日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/09/04/152004/ http://www.uccj-kc.jp/2018/09/04/152004/#respond Tue, 04 Sep 2018 06:20:04 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2060  聖霊降臨節第15主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-6(つくりぬしを賛美します)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙8章31節~39節 新約聖書P.285~286

では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。

だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。

だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、

高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-208(主なる神よ、夜は去りぬ)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年8月26日郡山教会主日礼拝説教

『キリストの愛』<ローマの信徒への手紙8:31‐39>  小峰 擁

八木重吉の詩は、神さまを信ずるまっすぐな信仰の心をわたしたちに教えてくれるのではないでしょうか。八木重吉の詩は、一見単純なようで、こどものようなことばであるかもしれません。しかし、その奥にはひとりのキリスト者の秘められた祈り、激しい叫び声、純粋な信仰のこころがあるように思われてなりません。八木重吉の「ああちゃん!」という詩と「おんちち うえさま 」という詩を紹介させていただきます。

「ああちゃん!

ああちゃん! むやみと はらっぱをあるきながら ああちゃんと よんでみた こいびとの名でもない ははの名でもない だれのでもない」、

「おんちち うえさま

おんちち うえさま   おんちち うえさま  と

とのうる(となえる)なり」(八木重吉『貧しき信徒』(佐古純一郎編、新教新書)より)。

やはり、八木重吉は、神さま(「み名」)にあこがれ、その詩において、神さまをひたすら追い求めようとしているのではないでしょうか。八木重吉の詩は、神さまに願い求める心の叫び声です。それゆえわたしたちの心にいつまでも残るのではないでしょうか。

きょうのみことばのローマの信徒への手紙8章31節以下はわたしたちの新共同訳聖書では「神の愛」という見出しがついています。前田護郎訳『新約聖書』も、「神の愛の絶対」となっていました。このふたつの見出しは、ここのみことばの意味にまことにふさわしく、考えさせられます。

このようにローマの信徒への手紙8章31節以下の神さまの愛のみことばは、わたしたちの心に強く迫ってまいります。また、その文、文体においてもいくつかの特徴があります。

「…か?もし…か?…か?」(31,32節)、「だれが…でしょう?…。だれが…できましょう?…。だれが…できましょう?…か?(7回)」(33,34,35節)、「~も(10回)」(38節,39節)。当時の論法であったのでしょう。独特の言い回しです。

あの有名な31節の「もし神がわたしたちの味方であるならば、…」という聖句も、旧約聖書の詩編118編6節に似たような言い回しがありました。

さらに、39節の前田護郎訳の訳註にはこのようにありました。「…ここに列挙された諸権威よりもキリストの愛が強いという信仰は、多神教と戦ってただひとりの神を信ずるという聖書全体の線の表われである」(前田護郎訳『新約聖書』ローマ書8章39節訳註)。わたしたちもこの世のもろもろの権威、この世の力よりも何よりも、神の愛、キリストの愛こそまことに強いのだという信仰に生かされたと思います。

わたしたちの実生活においては、この世の力や魅力に敗北することがしばしばかもしれません。けれども、(主よ、憐れんでくださいますように!)神さまの愛、キリストの愛に包まれ、押し出されて、神さまの恵みの一日一日を大切に歩んでまいりましょう。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-543(キリストの前に)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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http://www.uccj-kc.jp/2018/09/04/152004/feed/ 0
2018年8月19日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/09/04/151723/ http://www.uccj-kc.jp/2018/09/04/151723/#respond Tue, 04 Sep 2018 06:17:23 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2056  聖霊降臨節第14主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-55(人となりたる神のことば)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 マルコによる福音書12章1節~12節 新約聖書P285~286

イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。

収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。

だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。

更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。

まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。

農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』

そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。

さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。

聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。

これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』」

彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-289(みどりもふかき)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年8月19日郡山教会主日礼拝説教

『ぶどう園をほかの人たちに?』<マルコによる福音書12:1‐12>  佐藤 七海

イスラエルを愛する神は、ぶどうを産出する土地を彼等に約束しました。ぶどうは人々にとって馴染み深い果樹でしたが、預言者イザヤは、神がぶどう畑を耕し良いぶどうを植えたのに、収穫したのは酸っぱいぶどうであったと、イスラエルの背信を悲しみます。

こうした出来事は、神とイスラエルの指導者達との歴史の中で、何度も繰り返されエスカレートしていきました。12章1節からのイエスさまのたとえは、旧約のぶどう畑をイメージしながらも新しい内容を盛っておられることです。ぶどう畑やぶどうの実のことではなく、そこで働く農夫たちの問題です。

聞き手は祭司長、律法学者、長老達です。この三種類の人たちは70人の議員と1人の議長による最高法院(70年消滅)に属するメンバー達です。

十字架を前にイエスさまは、父なる神の大いなる救いのご計画について、ぶどう園のたとえを通して語り始められました。ぶどう園の持ち主である神は、ぶどうを収穫できるまでの総ての準備をすませてから、農夫たちを信頼して旅にでます。ぶどうの収穫を期待できる迄には少なくとも2~3年、普通は4年位かかるとも言われます。収穫の時になり、主人の期待を受けた僕(預言者)が農夫たちの元に来ますと、彼らは僕を袋叩きにし、何も持たせずに帰してしまいました。その後、やってきた僕のすべてに乱暴を働き、ついに殺される者も出てきました。

『こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子セガリアの血に至るまで・・』 (マタイ23:35)。

主人は最後に残った愛する息子まで送りました。農夫たちは、「これは跡取りだ」と相続財産を奪うため息子をなき者にし、ぶどう園の外にほうり出したのです。彼らは自分達が神の座について、神を締め出し、人間中心の世界をつくろうとしたのです。ユダヤ教の神殿という豊かなぶどう園をまかされてきた最高法院の彼らは、悔い改めを促す主のたとえにも心を動かされる事なく、かえって主イエスを捕えようとしました。しかし群衆を恐れて立ち去りました。群衆は皆イエスの教えに打たれていたのです。

「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」

ユダヤ教の指導者たちが捨てた石キリストは、不思議な神のみわざによって復活、昇天なさり、主を頭と頂く神の家を造り上げて下さいます。復活の主が神の造られた世界というぶどう園の新しい管理者(マルコ12:9B)となって下さった時、全く新しい一つの民族、一つの家族が誕生したのであります。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-390(主は教会の基となり)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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9月16日(日)「こどもれいはい」の御案内 http://www.uccj-kc.jp/2018/09/03/171220/ http://www.uccj-kc.jp/2018/09/03/171220/#respond Mon, 03 Sep 2018 08:12:20 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2080 9月16日(日)に「こどもれいはい」を行います。

○ 開催場所

郡山教会礼拝堂(大人の人も一緒に混ざります)

○ 開催時間

9月16日(日)9時30分から(30分くらい?)

○ その他

小さなお子様、幼稚園児や小学生のお子様の参加を想定しています。

付き添いの大人の方も参加いただけます。

○ 「こどもれいはい」について

郡山教会では、6月から「こどもれいはい」を再開しました。これからも、継続的に毎月第3日曜日に「こどもれいはい」を行 う予定です。

「こどもれいはい」は、地域の子供たちが少しでもキリスト教に触れる機会を持てないか、小さなお子様、特に幼稚園児や小学 生のお子様の心の成長に、地域のキリスト教会としての役割はないのか?と言う、郡山教会の中での話し合いの中から再開するこ ととなりました。

お子様の参加をお待ちしています、少しでも多くのお子様が参加されるよう・・・

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2018年9月2日 主日礼拝  http://www.uccj-kc.jp/2018/09/02/121304/ http://www.uccj-kc.jp/2018/09/02/121304/#respond Sun, 02 Sep 2018 03:13:04 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2063  聖霊降臨節第16主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-56(主よ、いのちのパンをさき)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙9章1~5節 新約聖書P.286

わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、

わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。

わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。

彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。

先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

 

○ 讃美歌 21-155(山べにむかいて)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年9月2日郡山教会主日礼拝説教

『万民とイスラエル』<ローマの信徒への手紙9:1‐5>  小峰 擁

きょうから、わたしたちはいよいよローマ書9章から11章までの箇所に入ります。(わたしはこの聖書の箇所まで来ますと個人的なことで大変恐縮ですがどうしても昨年天に召された恩師のワルケンホースト先生のことを思い出してしまいます。ワルケンホースト先生から個人教授や神学校での講義や旧約聖書の勉強会などを通して長年にわたり親しく教えていただきました。いまもそのご恩を心より感謝し、忘れることができません。具体的には旧約聖書のヘブライ語本文を中心にギリシア語、アラム語、シリア語などの古代語訳との比較を通しての聖書のみことばの学びです。この学びの歩みはいまも続いていますが、ほんとうに遅々としてなかなか進みません。またそれほど自慢できるようなレベルでもありません。ただ忍耐をもっていまも何とか学び続けています。これらを通してですが時々その奥にあります大切な神さまのみことばについて触れることがゆるされているように思われるのです。このきっかけというか、こうした機会をずっとワルケンホースト先生によって与えられてきました。神さまの深い恵みだと思っています。これらの学びを通して何かわたしたち信仰者の神さまのみことばに対する尊敬というか、あこがれというか、わたしたちの心の姿勢のようなものを教えていただいたように思うのです。また学びの合間のお茶の際での楽しい会話や学びの帰り道の電車やバスの車中での信仰や教会についての会話なども懐かしく思い起こされます。)

さて、ローマの信徒への手紙(ローマ書)5‐8章において使徒パウロは、主イエス・キリストの十字架と復活による救いについて詳しく説いていました。ところが一転して、9‐11章においては、歴史における神さまの救いのご計画について説くようになります。

つまり、不信心なイスラエル(ユダヤ人)も、ユダヤ人でない異邦人も、すべての民(万民)が神さまの救いのご計画、経綸(けいりん)のもとに導かれていることが述べられています。わたしたちはもともと神さまの選びの民イスラエル(ユダヤ人)ではありませんでした。もとは異邦人です。その者たちが神さまの愛(み恵み、憐れみ、慈しみ)によって、神さまの独り子、主イエス・キリストを信ずることによって神さまの選びの民に新たに加えられたのでした。ですから、異邦人とイスラエルの関係について述べるローマ書9-11章は、実はわたしたちへの神さまの救いの出来事と、とても関係が深いのです(また、イスラエル(ユダヤ人)の心の頑なさについてもわたしたちの内面と決して無縁ではないのではないでしょうか。このことがこれから先の所で述べられます)。

ところで、パウロはもともとのイスラエル(ユダヤ人)のひとりです。ですから、ここで同じ血族のイスラエル(ユダヤ人)としての憂いと嘆き、祈りと希望を記さざるを得ませんでした(1‐5節)。わたしたちの家族や愛する者を思う気持ちと同じです。このような魂の呻(うめ)きです。心の叫び声です。わたしたちの魂の呻き、叫び声と共通しています。わたしたちもここから救い主イエスさまを、主を待ち望みたいと思います。神さまはこのようなわたしたちのことを愛し、憐み、慰め、救ってくださいます。

 

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-507(主に従うことは)

○ 聖餐式 配餐

○ 讃美歌 21-78(わが主よ、ここに)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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2018年8月12日 主日礼拝 http://www.uccj-kc.jp/2018/08/22/121850/ http://www.uccj-kc.jp/2018/08/22/121850/#respond Wed, 22 Aug 2018 03:18:50 +0000 http://www.uccj-kc.jp/?p=2048  聖霊降臨節第13主日礼拝順序

○ 前奏

○ 招詞

○ 讃美歌 21-3(扉を開きて)

○ 日本基督教団信仰告白

○ 主の祈り

○ 聖書朗読 ローマの信徒への手紙8章26節~30節 新約聖書P.285

  • 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
    人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
    神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは 知っています。
    神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
    神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-494(ガリラヤの風)

○ 説教

メッセージ(牧師説教要旨)

2018年8月12日郡山教会主日礼拝説教

『万事を益となす』<ローマの信徒への手紙8:26‐30>  小峰 擁

八木重吉の詩に「キリスト」という詩と、「私は苦しい」という詩があります。

「 キリスト   病気して いろいろ自分の体が不安でたまらなくなると どうしても怖(おそ)ろしくて寝(ね)つかれない しかししまいに キリストが枕元(まくらもと)にたって じっと私をみていて下さるとおもうたので やっと落ち付(つ)いて眠りについた 」

「 私はくるしい   私はくるしい 私は怖(おそ)ろしい 私は自分がたより無(な)い 私は基督(キリスト)に救ってもらいたい それが最後のねがいだ 」

(八木重吉『貧しき信徒』(佐古純一郎編、新教新書)より)

どちらの八木重吉の詩も、わたしたちの心とそんなに遠くないように思われます。どこかの、ある日のわたしたちの詩(うた)、わたしの詩のようにさえ思われるのです。

きょうのローマの信徒への手紙8章26節以下のみことばですが、わたしたちキリストを信ずる者、キリスト者にとってとても慰め深いのではないでしょうか。

18節以下に苦しみということが触れられています。ここを読んでいて、わたしたちの人生の苦しみにも、何かしらの大切な意味があることを教えられるのではないでしょうか。ここでは何と将来の栄光が現在の苦しみと較(くら)べると、ほんとうに較べようのないくらいだと、将来の栄光の優位、すばらしさが語られています。

そして26節、27節では、聖霊、御霊(みたま)のとりなしということが語られていました。

さらに28節では、このようなこと、愛のみわざをいったいどなたがしてくださるのかがはっきりと示されています(口語訳、新改訳、前田訳などを参照。なお文語訳、新共同訳などの翻訳では、あえてここの主語の「神は」を入れないまま翻訳されています)。

口語訳では、「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事(ばんじ)を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っている」となります(口語訳、ローマ8:28)。(これら口語訳などの翻訳では、特に「神は」を入れた新約聖書ギリシヤ語本文(ほんもん)の有力な写本に従って、「神は…共に働いて…」と、ここの主語がどなたであるのかをはっきりとさせています。)わたしたちの信仰にとっても、ここのところはとても考えさせられるのではないでしょうか。

29節、30節になりますと、「前もって」、「あらかじめ」というような語からもわかりますように神さまの予定ということが語り始められます。神さまがわたしたちを聖徒(せいと)として「あらかじめ」選び定めてくださったということです。愛なる神さまの永遠の聖定(みさだめ)、予定ということです(エフェソ1:4,11参照)。わたしたちにとってとても大切な聖書的な意味が述べられています。

「万事を益となるようにしてくださる」愛なる神さまの御心、み旨に信頼して、主の御手にすべてをおゆだねして、今日というこの一日を大切に歩ませていただきましょう。

○ 祈祷

○ 讃美歌 21-404(あまつましみず)

○ 献金

○ 献金感謝 讃美歌21-65-1(今そなえる)

○ 頌栄 讃美歌21-27(父・子・聖霊の)

○ 祝祷

○ 後奏

○ 報告

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