1月22日  降誕節第5主日礼拝
聖 書  マタイによる福音書17:1-13
説 教  「イエスの変容」 小峰 擁 牧師
讃美歌    3 287 461
 
説教要旨
「こころみの世にあれど」という讃美歌は、わたしたちがどんなときであってもおすがりすべきお方はどなたなのかということをわたしたちに教えてくれているように思えます。
「こころみの世にあれど、みちびきのひかりなる 主(しゅ)をあおぎ、雨の夜も たからかにほめうたわん。」(1954年版『讃美歌』358番1節(『讃美歌21』531番1,4節参照))。
きょうのみことば、マタイによる福音書17章の初めは、主イエスさまの「山上の変貌」といわれるところです。「変貌」のギリシャ語の意味は、「目に見える姿が全く変わってしまう、外観と共に内面も変わる」ということです。
「顔が太陽のように輝いた」という表現は、ヨハネの黙示録1章16節にも「顔は強く照り輝く太陽のようであった」とありますように、復活のキリストの姿を言いあらわします。そして、服までが「光のように白くなった」というのです。
モーセは旧約聖書における律法の部分の代表的人物です。エリヤはイスラエル預言者を代表しています。旧約聖書の象徴として、二人の人物が主イエスさまとともに光の中に現われます。
ここの「光り輝く雲」は旧約聖書の出エジプト記などに出てきて、聖なる神の臨在をしめす雲です。この雲のなかから声が響きます。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け」(マタイ17:5)と。
この声は主イエスさまがヨルダン川で洗礼を受けられたとき、天が開き、聖霊が鳩のよう降(くだ)ってきて聞こえてきた声でした(マタイ3:17)。
マタイ17章の「これに聞け」は、直訳すると「あなたがたは彼に聞きなさい」です。
「彼」とは「イエス」さまのことですから、「あなたがたは主イエスさまに聞きなさい」ということになります。たといどんなときにもです。
雲の中から聞こえたその声は実は六日前にペトロがキリストを告白したときの言葉であり、それはまた聖書全体が指し示すことをもういちど確認する言葉でもあったのです。
ですから、きょうのみことばから、そして全聖書の中から教えられ、示されますことは、わたしたちの信仰にとってたといどのようなときであっても、このようなときに何といってもいちばん依り頼むべきお方はわたしたちの主イエス・キリストなのだということです。
キリストがわたしたちひとりひとりの罪のために十字架の上で死んでくださったということです。そして神さまはキリストによってわたしたちひとりひとりの罪をゆるしてくださった、キリストを死人の中から復活させ、新しいいのちを与えてくださったということです。主イエス・キリストこそ、わたしたちのまことの救い主(すくいぬし)、栄光の主でありますから、わたしたちはどんなときでもこのお方におすがりしていいということです。
どんな苦難のときでも、十字架の主、復活の主イエスさまはわたしたちのことをやさしく慰めてくださいます。たといどんなときであってもこのお方におゆだねいたしましょう。

日本基督教団郡山教会
〒963-8005 郡山市清水台2丁目6-4
Tel:024-922-1687