12月18日  待降節第4主日礼拝
聖 書  マタイによる福音書1:18-25
説 教  「インマヌエル、神われらと共に」 小峰 擁 牧師
讃美歌  229 242(第4節) 241
 
説教要旨
ここ何年か、この世界も、わたしたちの国も、そしてわたしたちの生きる場においても、先の見えない不安や漆黒の闇に覆われてしまっているよう思えてしまう時があります。
これから先わたしたちはどのような道を歩んでゆくのか見えなくなってしまって、苦闘していているように思えてしまいます。誰しもこのような深い暗闇の時代の中をもがき、なかなか希望をもてずに悩んでいるのです。このような時代の中をわたしたちはいま生きているのかもしれません。
けれどもこのような世界の中にあってこそ聖書の中のイエスさまの誕生の物語は、闇の中で強い光を放っています。輝いているように思えてくるのです。そしてしばらくするとその光は去ってゆき、またいつもの静かな沈黙の夜に戻ってゆくように思えてくるのです。
マタイによる福音書は、1章22、23節において、イエス・キリストのもう一つの名前について触れています。それは、「インマヌエル―神われらと共に」という名前です。
「神がわれわれと共におられる」とは、ほんとうに驚くべき福音(ふくいん)、喜びのおとずれです。神がわたしたちと一緒にいてくださる、わたしたちのところに来てくださるというのです。
いままで、神さまなしに強がって自分だけで生きてきた者が、いま神さまと出会い、神さまがわたしたちと共にいてくださる中で自分の人生を生きることがゆるされるのです。絶望や不安の生活から、神さまが一緒にいてくださって、導き、支え、ゆるし、慰めてくださいます。まさに喜びのおとずれ、福音です。「インマヌエル―神われらと共に」、この名前は、わたしたちの不安や悩みを、その根本から望みや喜びへと変える根源的な力が秘められています。
そして、このお方はわたしたちの罪の贖(あがな)いのために、あのゴルゴダの丘で十字架にかかられ、「エリ、エリ、レマ,サバクタニ」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と苦しまれ、神に向かって孤独、独りとなられ、叫ばれたお方です。
そして、死人のうちからよみがえり、死に勝利されたお方です。復活されたお方です。
預言者イザヤは聖霊によってイエス・キリストについて預言しました。この預言の通り「インマヌエル―神われらと共に」が、主(しゅ)イエスのご降誕によって成就します。
「イエス」というお名前のほかに、もう一つの名前「インマヌエル」をもった、わたしたちの救い主(すくいぬし)イエスさまが、キリストが、わたしたちを罪から救ってくださるために、この世に来てくださったのです。神さまはわたしたちを救うために、神さまは独り子(ひとりご)イエスさまを世に降(くだ)されたのです。わたしたちの救い主イエスさまがお生まれになったのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。
わたしたちはこのみことばを想い起します。主イエス・キリストのご降誕(こうたん)の喜びを心のうちに深くかみしめるのです。神さまの愛と恵みを感謝し、讃美いたします。

日本基督教団郡山教会
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