4月 2日  受難節第6主日礼拝
聖 書  マタイによる福音書27:45-56
説 教  「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」 小峰 擁 牧師
讃美歌  194 298 311
 
説教要旨
「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」(46節)。
このみことばを読むすべての人が、通り過ぎることのできない箇所であろうかと思います。
わたしたちもみなこのみことばをけっして忘れることができません。
このマタイによる福音書の十字架の記事の全体が詩編22編にもとづいて構成されているといわれています。マルコによる福音書もそうです。そして中心は46節のみことばです。
ここでは、詩編22編の冒頭の言葉が、ヘブライ語混じりのアラム語で言い表されています。
この十字架上のイエスさまの叫び声は詩編22編全体の心を伝えようとして、冒頭の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という言葉を口にされたと読むこともできるところなのです。
詩編22編は、22節「わたしに答えてください」で転調します。前半の嘆きから後半の感謝の調子へ変わってゆきます。詩編22編の前半は嘆きの歌ですが、後半は感謝の歌に変わってゆくのです。ですから詩編22編は「変えられた嘆き」の詩編であるともいわれます。
ここの詩編22編22節の一語の「アニサニー」(「あなたはわたしに答えられた」)は、実に前半の嘆きから後半の感謝に急激に転調する大切な一語なのです。新共同訳では「わたしに答えてください」と願望の意味にとっていますが、聖書の本文(ほんもん)のヘブライ語の「アニサニー」は(動詞「アナー」「答える」の完了形)「あなたは答えられた」の「アニサー」に語尾「わたしに」の「イー」が加わる一語になっています。直訳すると「あなたはわたしに答えられた」つまり「あなたはわたしの声を聞かれた」ということです。
イエスさまは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という詩編22編の冒頭の言葉を十字架の上で、み父である神さまにむかって嘆き、叫ばれています。神さまに捨てられるというとてつもなく深い深い孤独の中から、十字架の死の淵からイエスさまはこの叫び声をあげられるのです。
しかし、イエスさまのこの嘆き、叫び声は、なんと驚くべきことに、天の父なる神さまによってこの嘆きは、叫び声は「聞かれた」、「答えられた」という意味の嘆き、叫び声であったのです。
天の父なる神さまは愛するみ子イエスさまにすべての人の罪を負わせられた、神さまのみ子である愛するイエスさまを罪人とされたのです。審かれたのです。ところが、なんとみ子イエスさまは天の父なる神さまの御旨に従って、十字架の死の最後に至るまですべての人を愛し抜かれます。多くの人のあがないのためにすべての人の罪を引き受けられます。
イエスさまはわたしたちの罪のために十字架の上で死んでくださったのです。イエスさまを信ずる人が罪ゆるされ、世の終りにこの叫びを発することなしに、喜びをもってイエスさまを迎え、神さまのみ前に立つことができるようになるためだったのです。
それはイエスさまの十字架によって神さまの愛が恵みとしてわたしたちに与えられるためだったのです。なんと、なんと深い神さまの愛でしょうか。イエスさまの愛でしょうか。

日本基督教団郡山教会
〒963-8005 郡山市清水台2丁目6-4
Tel:024-922-1687