12月14日  待降節第3主日礼拝
聖  書  ルカによる福音書 1: 67 〜 80
説  教  「ザカリアの歌」 小峰 擁 牧師
讃 美 歌   242 229 182    
 
きょうのみことば、ルカによる福音書1章のザカリアの歌はクリスマスの光を予感させる感動的な箇所です。ザカリアの歌の中にもいくつもの旧約聖書のみことばの響きが響き渡っています。そういう意味ではマリアの讃歌も、そしてこのザカリアの歌もどちらも新約の夜明けを告げる歌、しかも旧約的な讃歌でもあるということができるでありましょう。
このザカリアの歌で歌われ、預言されていますのは、わたしたちの救い主(すくいぬし)イエス・キリストのさきがけとして、主(しゅ)の御前(みまえ)に生きる人、洗礼者、バプテスマのヨハネの姿です。この子がやがてのちの洗礼者、バプテスマのヨハネとして、天の国の道普請(みちぶしん)の役目を果たしてゆくことになります。これから成長してまさに「荒野に叫ぶ者の声」となります。多くの人々に罪の赦しを得させるため、悔い改めの洗礼を施してゆく預言者となってゆくのです。主(しゅ)イエスさまご自身ものちにこの洗礼者ヨハネからあえて洗礼をお受けになられます(ルカ3:21,22)。このように洗礼者、バプテスマのヨハネは主イエス・キリストのさきがけ、旧約最後の預言者となってゆきます。
ところで、ザカリアの歌の中でわたしたちがいちばん心惹かれますのは、神さまの憐れみということではないでしょうか。神さまの憐れみのみ手の中にあってわたしたちは生きるということです。主(しゅ)のみ手に導かれて、わたしたちも主の御前(みまえ)に押し出されてゆきます。ほんとうに身も心も、弱いわたしたちであります。ときどきくじけそうになってしまうこともあります。悩み多く、ひそかに自らの弱さに泣く者であります。
けれども、こうしたわたしたちではありますが、むしろこうしたわたしたちでありますから、神さまの愛によって、わたしたちは天の父なる神さまのやさしく強いみ手に守られて、導かれてゆくのです。主イエスさまのみ手に促され、主のみ手に引かれてゆくのです。
神さまの憐れみ、慈(いつく)しみ神さまの愛の光が天上より射(さ)しこんでくるのです。神さまの憐れみの光、慈しみの光、愛の光です。この愛の光がわたしたちのおぐらきゆくてを照らし、導いてくれることがここに示されます。たとえわたしたちをおおう暗闇がどんなに深くとも、神さまの愛の光と慈しみの光、憐れみの光によってわたしたちをも、明るく照らしだされてゆくのです。神さまの曙(あけぼの)の光がわたしたちをも包んでゆきます。神さまの愛の光が、わたしたちの上にも、さあっと射しこんでくるのです。
あの詩編23編の中に歌われていますようにたとえわたしたちが死の陰の谷の中を行くようなときにも神さまが共にいてくださいますから主(しゅ)イエスさまが共にいてくださいますからわたしたちはたとえどんなときであってもわざわいを恐れなくともいいのです。
わたしたちが待ち望んでいます主(しゅ)イエスさまのご降誕、クリスマスの日がもうすぐです。神さまの愛の光、神さまの憐れみの光が、幼な子、御子(みこ)イエスさまに集中して照らし出された日です。暗い世界に神さまの恵みの光、愛の光。新約の光が射しこむのです。神さまのやさしい愛の光です。わたしたちの救い主イエスさまのご降誕の日をこのクリスマスのやさしい愛の光をわたしたちも祈りをもって静かに待ち望みましょう。
日本基督教団郡山教会
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