12月28日 降誕節第1主日礼拝
聖 書 ルカによる福音書 2: 22 〜 38
説 教 「シメオンとアンナ」 小峰 擁 牧師
讃 美 歌 265 255 280
きょうのルカによる福音書の中に、年老いたシメオンとアンナが登場します。ここの中において、長い年月「イスラエルの慰め」、「イスラエルの救い」を待ち続けてきた年老いたシメオンとアンナがいままさに神さまから慰めと希望の光を与えられています。年老いたシメオンとアンナに天の愛なる神さまから慰めと祝福が与えられたのです。
シメオンとアンナ、二人ともたいへん年老いていましたが、どちらの人物も信仰深く、心においてもまた行いにおいても、どんなにか敬虔な生き方であったかが想像されます。
神さまの御子(みこ)「イエス・キリストの誕生」によって、こうした彼らに初めて「イスラエルの慰め」が与えられます。イスラエルの民がずっと昔から待っていた神さまの慰めと希望の光、救いの光がいまはっきりと与えられるのです。
「イスラエルの慰め」とはイスラエルの民イスラエルの人々がずっと待ち望んでいた救い主(すくいぬし)イエス・キリストが天の父なる神さまのみもとから与えられることです。
ユダヤ人の聖書、旧約聖書の中で「イスラエルの慰め」については、しばしば語られ続けてきました(イザヤ書40:1-2,49:13)。
シメオンもアンナも、どちらも、ここにまことの「イスラエルの慰め」を得たのでした。
シメオンも、アンナも、どちらも、神さまの御子(みこ)「イエス・キリストの誕生」によって、「イスラエルの慰め」、この恵みの事実をその目で見、知ることができたのでした。
「イスラエルの慰め」、神さまの御子(みこ)「イエス・キリストの誕生」についての証し(あかし)、讃美の歌としてエルサレムの神殿内での出来事としてここに描かれます。
けれどもそれは、建物としての宮、神殿にもまして、いまなんと、彼らシメオンも、アンナも、彼らの目の前に、神さまの御子(みこ)、天の神さまの独り子(ひとりご)である幼子(おさなご)イエスさまをいま見、お会いしているのです。
ここにはっきりと神さまがイスラエルの人々と共におられる、神さまが、イスラエルの民とここにいましたもうことが、「神さまのご臨在(りんざい)」が、いま幼子(おさなご)イエス・キリストにお会いすることおいて実現、成就されたのでした。
シメオンとアンナ、この二人にいまはっきりと目の前に、神さまの御子イエスさまが示されます。
このことは、わたしたちにとっても決して他人事ではないのだと思います。生きて行く意味がなかなか見いだせないということで心の奥深いところで嘆き、苦しみ悩むわたしたちです。なかなか生きてゆく光と希望が見いだせず、絶望しかけているわたしたちです。
このような生きてゆく希望や喜びを持つことを諦めかけているわたしたちにも、生きる希望と喜びの光、救いの光が神さまによって確かに与えられたのです。
愛なる神さまは、慈しみと憐れみに富まれる神さまは、人知れずいつも泣き、嘆き、深い悩みの中にもがくわたしたちにも、まことの希望の光を、救いの光を、生ける喜びを、与えてくださいます。神さまの愛が主(しゅ)イエス・キリストのお誕生によって成就します。
日本基督教団郡山教会
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