12月11日  待降節第3主日礼拝
聖 書  ルカによる福音書1:46-55
説 教  「マリアの讃歌」 小峰 擁 牧師
讃美歌  175 242(第3節) 504
 
説教要旨
おとめマリアは神さまのみ前に低くなって呻きつつ神さまに求めています。マリアの讃歌は、おとめマリアが神さまのみ前にへりくだって存在の根底から歌い出したほめ歌です。
「わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。 今から後(のち)、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、 わたしに偉大なことをなさいましたから。 その御名(みな)は尊(とうと)く、 その憐(あわ)れみは代々(よよ)に限りなく、 主を畏(おそ)れる者に及びます」(ルカ1:47‐50)。
「わたしはあがめる」はラテン語の「マグニフィカート」で、マリアの讃歌は教会の讃美歌として昔からよく歌われてきました。また、旧約聖書の詩篇などとともに、わたしたちの祈りの言葉であるといってもいいでしょう。
この歌は、「身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださった」という言葉によってその根拠が示されています。
マリアは自分の身に起こったことを恵みとして素直に受け入れたというだけにとどまりません。それを神がなさる「偉大なこと」として、普通なら起こるはずのない神さまの大きな恵みと認めているのです。
「身分の低い」という語は、ルター訳聖書では「無きに等しい」、「みじめな」という意味のドイツ語に訳されていました。「目を留め」は文語訳聖書ですと、「顧みたまえば」となっています。―「その婢女(はしため)の卑しきをも顧み給へ(たまえ)ばなり」(文語訳、48節)となります。神さまのまなざしがそこにあるのです。「神が見てくださる」のです。
神さまが「向きを変えて眼を注ぐ、みつめる、与えるという目的のためにあわれみをもってみつめる、顧みる」という意味があります。
「目を留める」には、旧約聖書の中にありますように、神さまがみ顔を向けてくださる、振り向いてくださる、という意味がこの語には込められています。神さまがこちらを向き、目を留めてくださるなどとはマリアは思ってもみなかったことです。それなのに、神さまはこちらに振り向いてくださるのです。
「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました」と、マリアは神さまから与えられた彼女の精一杯の信仰と全(まった)き信頼をもって、いま声高らかに神さまの聖名(みな)をたたえるほめ歌を歌います。
主イエス・キリストの到来によって、わたしたちの世界に神さまの救いがもたらされたのです。きょう、主を待ち望むアドベントの第三週に入りました。待ちに待った救い主(すくいぬし)イエス・キリストが来てくださった喜びのおとずれ、福音(ふくいん)が告げ知らされるクリスマスがもうすぐです。
わたしたちは、世界の教会とともに、主の恵みを数えつつ、神さまの愛と平和を祈りつつ、主のご降誕の日を憶えて、このアドベントの時を過ごしてゆきたいと思います。

日本基督教団郡山教会
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