12月 7日 待降節第2主日礼拝
聖 書 ルカによる福音書 1: 46 〜 56
説 教 「マリアの讃歌」 小峰 擁 牧師
讃 美 歌 231 243 175 78
マリアの讃歌は、ひとりの女性マリアが呻(うめ)きつつ神さまを求め、へりくだって、その存在の底から歌い出した歌です。
「わたしの魂は主(しゅ)をあがめ、 わたしの霊は救い主(すくいぬし)である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。 今から後(のち)、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、 わたしに偉大なことをなさいましたから。 その御名(みな)は尊(とうと)く、 その憐(あわ)れみは代々(よよ)に限りなく、 主を畏(おそ)れる者に及びます。」(ルカ1:47-50)
「わたしはあがめる」はラテン語の「マグニフィカート」で、マリアの讃歌は教会の讃美歌として昔からよく歌われてきました。また、旧約聖書の詩篇などとともに、わたしたちの祈りの言葉であるといってもいいでしょう。
この歌は、「身分の低い、このはしためにも 目を留めてくださいました」という言葉によってその根拠が示されています。マリアは自分の身に起こったことを恵みとして素直に受け入れたというだけにはとどまりません。それを神さまがなさる「偉大なこと」として、普通ならば起こるはずのない神さまの大きな恵みと認めているのです。
「身分の低い」という語は、「低い」「低いこと」という元々の意味の言葉です。
〔ルター訳ドイツ語聖書でも「低いこと」「低さ」(ルカ1:48)という意味のドイツ語に翻訳されています。「彼は(死に至るまで頭を)低く下げられた」(玉川直重、ピリピ2:8)。「低く下って」(新共同訳、詩編113:6)、「己を卑(ひく)くして」(文語訳、詩編113:6)参照。〕
「目を留め」は文語訳聖書ですと、「顧み給へばなり」(文語訳、ルカ1:48)となっています。
ここに、神さまの愛のまなざしがあるのです。「神が見てくださる」のです。神さまが「向きを変えて眼を注ぐ」、「みつめる」、「(与えるという目的のために)あわれみをもってみつめる」、「顧みる」という意味があります。「目を留める」には、旧約聖書の中にありますように、神さまが「み顔を向けてくださる」、「振り向いてくださる」という意味がこの語にはこめられています。神さまがこちらを向き、目を留めてくださるなどとはマリアにとっては思ってもみなかったことでした。それなのに、神さまはこちらを、マリアに、「振り向いて」くださいました。
「力ある方が、 わたしに偉大なことをなさいました」と、マリアは神さまから与えられた大きな恵みをほんとうに一人の女性マリアの精一杯の信仰と信頼をもってお応えしています。そしていま、マリアは声高らかに神さまをほめたたえる讃美の歌を歌い始めます。
主イエス・キリストの到来によって、わたしたちのこの世界に、神さまの救いがもたらされるのです。
わたしたちはきょう、主を待ち望むアドベントの第二週に入りました。主イエスさまのお誕生による救いの喜びのおとずれが告げ知らされるクリスマスがもうすぐです。主を待ち望むアドベント。わたしたちは祈りつつ主の恵みを数えつつ、過ごしてまいりましょう。
日本基督教団郡山教会
〒963-8005 郡山市清水台2丁目6-4
Tel:024-922-1687