3月31日  復活日(イースター)礼拝
聖  書  マタイによる福音書28:1-15
説  教  「主の復活」 小峰 擁 牧師
讃 美 歌  325 327 333  78
 
説教要旨
主(しゅ)イエスさまの十字架の近くには、愛する主イエスさまの死を悲しみ、泣いている人たちがいました。この女性たちが主イエス・キリストの復活のよきおとずれを最初にお聞きすることになります。
新約聖書の四つの福音書が伝えていますように、女性の弟子が最初に主イエスさまの墓を見に行ったことは、彼女たちの主イエスさまへの思い、愛情がどんなに深いものであったかを示しています。マルコ福音書16章によれば、彼女たちは、主イエスさまの体に香料を塗るため墓に行ったとあります。マタイ福音書だけが、ここで地震について記しています。文語訳では、「視(み)よ、大いなる地震あり、…」(2節)となっています。わたしたちの聖書の「すると」というところは、原文のギリシャ語では「そして、見よ」です。
ここでは、主の復活のよきおとずれを聞いた人間の「懼(おそ)れ」と「喜び」がとても重要になっています。主の復活のおとずれを聴(き)く者にはいつも懼(おそ)れと喜びがあります。主の御使は、力強く「懼(おそ)るな」と語り出しています。このように「なんぢら懼(おそ)るな」という言葉で、主イエスさまの復活が告げ知らされています。
このことはわたしたちにとってもとても大きな、とても大切なことではないでしょうか。自分の思い描いているような方向ではなく、神さまの側から、主イエスさまの側から自分の思いとは全く違った方向が示されるのです。それは、人の思いを超えたものなのです。
神さまのみこころは実にわたしたちにはとても測りがたいのです。神さまのみこころはまったくわたしたちには測りがたく思われるのです。ほんとうに人の思いをはるかに超えたところに、聖なる神さまのみこころがあるのです。神さまの思いは測りがたいのです。
主イエスさまのよみがえり、主の復活は、人の思いをはるかに超えた、神さまがお示しになった神さまの真実です。主イエスさまの復活を告げ知らされる弟子たちの中には、ガリラヤ出身の漁師たちもいました。また、主が十字架上で息を引き取られるとき、弟子たちが逃げ帰えろうとした地、逃げ帰った地でもありました。
復活された主イエスさまは、弟子たちに「ガリラヤにゆけ」と命じられます。彼らの故郷ガリラヤは、福音宣教への出発地、福音宣教への出直し、再出発の場所となったのです。
十字架と復活の主イエスさまは、この地で彼らをゆるし、彼らを愛し、ほんとうにもう一度彼らをキリストの十字架と復活の福音の宣教の使命に立たせてくださいます。彼らは主の十字架と復活の証人とされるのです。
神さまはわたしたちにも、そうした時と場所とをご用意してくださいます。わたしたちも弟子たちのように、主の愛とゆるしによって、主の十字架と復活の証人とされるのです。
復活の主イエスさまのいのちの喜びがわたしたちにさしだされています。
主イエスさまの復活のいのちと希望に生かされるのです。キリストの十字架と復活の福音をわたしたちの愛する人々に伝えるよう、わたしたちも神さまから召されているのです。
日本基督教団郡山教会
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