11月 6日  降誕前第7主日礼拝
聖 書  マタイによる福音書14:22-36
説 教  「主よ、助けてください」 小峰 擁 牧師
讃美歌   58 377 458
 
説教要旨
「世のなみかぜに」という「聖歌」のことを思い出します。とても心惹かれてしまいます。
キリストに錨(いかり)をおろすこと、この望みはわたしたちのたましいの錨(いかり)なのだということを、このさんびかは力強く歌っています(ヘブライ人への手紙6:19)。
「世のなみかぜにうたるるとき のぞみのいかり(錨)主(しゅ)におろして あらしをよそにいよよふかく みめぐみのてにやすろう(お) いかり(錨)を主におろししいま かぜもなみも いかでおそれん よよのいわに いかり(錨)おろし ながるることあらじ」
             (『聖歌』494番1節)
わたしたちの人生にはさまざまな浮き沈みがあります。世の荒波があります。大波も小波も打ち寄せます。そんな中で、いつも右往左往ばかりしているようなわたしたちです。キリストに錨(いかり)をおろすこと。キリストに錨(いかり)をおろす、この望みはわたしたちのまことのたましいの錨(いかり)なのだということです。わたしたちはほんとうに心が弱くなって折れそうになってしまったときにも何べんも心の中に繰り返して、救い主(すくいぬし)イエスさまのことをいつも想(おも)いかえすようにいたしましょう。
きょうのみことばは実はこのことを、わたしたちに伝えたいのではないでしょうか。ガリラヤの湖は大きな海のように広いのです。凪(な)ぐときもありますが、強い風によって波立ち荒々しくなるときもあります。きょうのみことばには、大波に難儀するイエスさまの弟子たちと湖の上を歩かれるイエスさまの姿があります。
「ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは……おびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(マタイによる福音書14:24-27)。
これは、人生の浮き沈みの中でもがくわたしたちと救い主イエスさまとの関係、まさにありのままの姿ではないでしょうか。ここの中で、怖くなって沈みかけたペトロは「主よ、助けてください」(30節)と叫びます。恐怖におののくペトロの「主よ、助けてください」との叫び声は、まるでわたしたちの姿そのものを代表しているかのようです。
わたしたちでしたら、怖さのあまりもっと大きな声を出していたかもしれません。ペトロのように歩き出すことさえできなかったかもしれません。わたしたちはいつも試みの中でいつも立ち往生してしまいます。進むことも、動くことさえできなくなってしまいます。
わたしたちは特に罪と死の前にいつも弱くたちまち身動きできなくなってしまいます。このようなみじめなわたしたちですが、わたしたちのことを見捨てないで愛してくださるただひとりのお方がおられます。わたしたちの救い主(すくいぬし)イエスさまです。
それは十字架と復活のイエス・キリスト。わたしたちの救い主イエスさまです。このお方こそ、魂のいかり(錨)をおろすお方、救いの岩です。このお方にすべての思いわずらいをおゆだねしましょう。イエスさまはわたしたちのことを憐れみ、愛してくださいます。

日本基督教団郡山教会
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