3月24日  受難節第6主日礼拝
聖  書  マタイによる福音書27:45-56
説  教  「十字架」 小峰 擁 牧師
讃 美 歌  280 293 311
 
説教要旨
「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」(46節)。
ここを読む人は誰しもどうしてもここを通り過ぎることができない言葉かと思います。 マタイによる福音書の十字架の記事は、全体が詩編22編にもとづいて構成されているといわれています。マルコによる福音書もそうです。
「三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」(マルコによる福音書15:34)
その中心はこのマタイによる福音書27章46節のみことばです。ここでは、詩編22編の冒頭の言葉(「エリ、エリ、ラマ、アザブタニ」、「わたしの神、わたしの神、なぜわたしをお見捨てになるのか」(詩編22:2))をヘブライ語混じりのアラム語「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言い表されています。主(しゅ)イエスさまは詩編22編の全体を伝えようとして、その冒頭の神さまへの嘆き、訴えの言葉を口にされたのでしょう。ここにはとてつもなく深い孤独、嘆きがあります。
詩編22編は、22節の「わたしに答えてください」で転調し、前半の嘆きから後半の感謝の調子に変わってゆきます。詩編22編の前半は嘆きの歌ですが、後半は感謝の歌に変わっているのです。ですから詩編22編は「変えられた嘆き」の詩編であるともいわれています。
詩編22編22節の一語の「アニサニー」(「あなたはわたしに答えられた」)は、前半の嘆きから後半の感謝に転調する大切な一語です。(新共同訳では「わたしに答えてください」と願望の意味になっていますが、原文の「アニサニー」は、完了形の「あなたは答えられた」の「アニサー」に、語尾「わたしに」の「イー」が加わって一語になっています。直訳すると、「あなたはわたしに答えられた」、つまり「あなたはわたしの声を聞かれた」ということです。)主イエスさまは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という詩編22編の冒頭の言葉を、十字架上で、天のみ父、愛する天の父なる神さまにむかって大声で嘆き、訴え、叫ばれています。しかも、その嘆きは、天の父なる神さまによって「答えられた」、「聞かれた」嘆きの言葉なのです。
神さまは主イエスさまに多くの人の罪を負わせ、神さまのみ子である主イエスさまをゴルゴタの丘の十字架の上で罪人とされ、審かれます。主イエスさまは神さまのみ旨に従ってどこまでも人の罪を引き受けられ、どこまでも人を愛し抜かれます。主イエスさまはわたしたちのすべての罪のために十字架の上でわたしたちのために死んでくださったのです。
主イエスさまを信ずる者は罪をゆるされます。世の終りにこのイエスさまの十字架の叫びを発することなしに、喜びをもって神さまのみ前に立つことができるようになるのです。
主イエス・キリストの十字架によって、神さまの愛がまことに大きな恵みとしてイエスさまを信ずるすべての人に惜しみなく与えられたからなのです。まことに感謝であります。
日本基督教団郡山教会
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