4月30日  復活節第4主日礼拝
聖 書  マタイによる福音書21:18-32
説 教  「天からの権威」 小峰 擁 牧師
讃美歌   62 487 497
 
説教要旨
先日、偶然のことでしたが、会津のキリシタンの殉教の碑に出会い考えさせられました(「涙橋」)。わたしたちがもしあの時ここにいたらほんとうにどのようであったでしょうか。
さて、イエスさまは、十字架の道を歩まれる最後の一週間、ユダヤの都エルサレムに行かれ、夕刻はエルサレム郊外のベタニヤに退かれてお泊りになりました。そして早朝、再びベタニヤから都へと向かわれる途中の出来事です。イエスさまは空腹を覚えられ、いちじくの木に実がなっていることを期待されて近づかれますが、いちじくの木には葉ばかりで実は茂っていませんでした。そこで、イエスさまはこのいちじく木に向かって「今から後いつまでも、お前には実がならないように」とまで悲しんで言われるのです。旧約聖書では「いちじく」は神さまが自ら植えられたイスラエルの民を指しています(エレミヤ書8:13他)。ですから、イエスさまがご覧になったいちじくの木はエルサレム神殿のことを指しているものと思われます。枯れたいちじくの木の話はエルサレム神殿に対する天の父なる神さまの審きが暗示されているのでしょう。さて、イエスさまのみことばは、いちじくの木の話から次の山の話へと移ってまいります。「この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」(マタイ21:21,22)。なんと「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」のだと、イエスさまは言われるのです。ここで大切なことは、わたしたちが自分の意志や願望を「祈り」のかたちで神さまに押し付けるのではないということです。そうではなく、「神さまがなしてくださる」ことをわたしたちは信じて、静かに、忍耐強く、祈りつつ待つことなのです。ですから、イエスさまはここでわたしたちに祈ることを教えてくださいます。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。……」(マタイ6:8,9)と。そうです。神さまはみこころを成就してくださいます。わたしたちは神さまのことを心から信じて、静かに忍耐強く祈り、待つのです。このようにきょうのみことばは、奇跡、信仰、祈りということが主題となっているといえるでしょう。奇跡ということですが、ほんとうの奇跡とは罪によってさばかれて当然なわたしたちが、天の父なる神さまのひとり子イエスさまの十字架のゆえに、ゆるされるということこそ、ほんとうに奇跡の中の奇跡ではないでしょうか。神さまが与えてくださったまことのゆるしの愛こそほんとうの奇跡であるといえるのではないでしょうか。このような意味でわたしたちひとりひとりが神さまによって愛され、救われたということ、この大いなる奇跡をわたしたちは与えられたのです。ですから、わたしたちは神さまの愛の御業にほんとうに驚き、心から感謝せずにはおれません。そして心から信じて祈るのです。
わたしたちは神さまがみこころを成就してくださることを信じて、忍耐強く待つのです。神さまにわたしたちのすべてをおゆだねしましょう。わたしたちのすべての思い煩いをおまかせするのです。神さまが聴いてくださると心から信じるのです。神さまが与えてくださったこの信仰の道を、喜びと感謝と希望をもってハレルヤと歩ませていただきましょう。

日本基督教団郡山教会
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