5月21日  復活節第7主日礼拝
聖 書  マタイによる福音書21:28-32
説 教  「天の国をさして」 小峰 擁 牧師
讃美歌   17 140 566
 
説教要旨
先日、星野富弘さんの「オダマキ」の絵を思い出し、もう一度星野富弘さんの詩画集のオダマキの絵をじっとながめていました。オダマキの花びらって、つぼみって、ずいぶん深く濃い色なんだなとあらためてしばらくながめていました。また、ここにはこのような詩がありました。この詩が自分にとっても、何かなつかしい思い出のように思われました。
「いのちが一番大切だと 思っていたころ 生きるのが 苦しかった
いのちより 大切なものが あると知った日 生きているのが 嬉しかった」。
                  (星野富弘著『いのちより大切なもの』より)
さて、きょうのみことば、イエスさまのこのたとえの原文では、兄と弟が、「第一の息子」と「他方の息子」と書かれています。「第一の息子」を兄と見れば、「他方の息子」は弟になります。新共同訳では、「後で考え直して出かけた」のは兄になっています。
聖書の写本などの違いから、「あとから心を変えて、出かけた」のは弟であると理解して翻訳するものもあります。文語訳や口語訳では、「あとから心を変えて、出かけた」のは弟のほうになっています。
いずれにしても、主イエスさまがここでおっしゃりたいことは兄か弟かということではなく、「父親の望みどおりにした」、「悔い改めた」のはどちらなのかということなのです。
「悔い改め」とは、聖書のギリシャ語では「メタノイア」です。「悔い改め」、「メタノイア」とは、わたしたちの心の方向を思いきりよく切り替えることを意味します。
悔い改めは、わたしたちがあれもして、これもしてというようなことではありません。
そうです。悔い改めとは神さまの方向への立ち帰り、主イエスさまの方向への立ち帰りなのです。そうなのです。神さまが、神さまの側から、悔い改めを、立ち帰りをご用意してくださっているのです。
ですから、わたしたちはまことに安心して、神さまのみもとへと帰ることができます。わたしたちは神さまのこのお恵みをただただすなおに受け入れればいいのです。いっさいの思い煩いを自分へのこだわりのすべてを捨て愛なる神さまにおゆだねすればいいのです。
わたしたちが神さまに悔い改めて、神さまに立ち帰ってゆくとき、わたしたちの喜び以上に、天には大きな喜びがあります。
主イエスさまを信じて、神さまのみもとへと立ち帰ってゆくひとりびとりの姿を、わたしたちはきょうの主イエスさまのみことばから示されます。
わたしたちも人とくらべるのではなく、神さまのみまえに素直になって、十字架と復活の主イエス・キリストのみもとにひざまずきたいと思います。
十字架と復活の主イエス・キリストのみもとから、神さまの愛があふれでてくるのです。神さまの愛をよろこび、感謝し、讃美いたしましょう。
わたしたちも、神さまのみ国、天の国をさして歩みだしましょう。神さまを愛し、人を愛し、神さまが備えてくださったこの道を歌うたいつつ、祈りつつ歩んでまいりましょう。

日本基督教団郡山教会
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