4月 9日  イースター(復活日)礼拝
聖 書  マタイによる福音書28:1-10
説 教  「復活の主イエス」 小峰 擁 牧師
讃美歌  325 327 333
 
説教要旨
玉木愛子さんの「菊枯れてなほ限りなきいのちあり」は忘れえぬ句です。イエスさまのみことば「我は復活(よみがえり)なり、生命(いのち)なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん」(文語訳、ヨハネ伝11:25)が心の中に思い浮かんでくるからです。イエスさまの復活の日のことを想いますときなぜかこの句とみことばが心に想い起されます。
きょうのみことばの女性たちは、安息日が終って、一週の初めの日が明けそめるころ、十字架の上で死んで葬られたイエスさまの墓に駆けつけます。マルコによる福音書によれば、彼女たちが墓に赴いたのはイエスさまのからだに香料を塗るためでした。そのとき、天使が現われて、転がした石の上にすわり女性たちに告げます。
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あのかたは、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」(マタイ28:5,6)。
イエスさまの墓は空虚になっていました。主イエスさまは復活なさったというのです。イエスさまの十字架の死に対する決定的な勝利が天使によって告げられます。イエスさまが「復活された」とは「生きておられる」ということです。
そして復活の主イエス・キリストご自身が女性たちに出会われます。女性たちは喜びのあまり思わず復活の主イエスさまに近寄ってひざまずいて、主イエスさまの足を抱きしめました。さらに、復活の主イエス・キリストはこの女性たちにお命じになります。
「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」(マタイ28:10)。
ガリラヤは、イエスさまの弟子たちにとって初めに主イエスさまに呼びかけられた場所です。イエスさまによって選ばれ、召された場所です。それは、復活されたイエスさまがこの場所でもういちど弟子たちに、初めの愛、初めの信仰に気づかせるためだったのです。主イエスさまをよみがえらせてくださった天の父なる神さまに立ち帰らせるためでした。
そしてもういちど主の復活の命の喜びに満ちた使信を、キリストの十字架と復活の福音を宣べ伝える人、十字架と復活の証人としてくださるためだったのです。復活の主イエス・キリストは、傷つき、つまずいた弟子たちをもういちど立ちあがらせてくださいます。
ですから、もし、わたしたちがつまずき、失敗し、深く傷ついたときも、神さまが、イエスさまがもういちど立ち帰らせてくださいます。わたしたちの帰ってゆく場所とは、愛する十字架と復活の主イエス・キリストのみもとです。初めの愛、初めの信仰です。そこで主イエスさまはわたしたちに出会ってくださいます。十字架と復活の主イエスさまご自身がわたしたちひとりひとりに近づいて来られます。十字架と復活の主イエスさまがわたしたちに声をかけてくださいます。イエスさまご自身が復活の事実を明らかにされ、わたしたちの疑いや迷いをも取り去ってくださいます。十字架と復活の主イエス・キリスト、わたしたちの命の主は、わたしたちひとりひとりを愛してくださいます。わたしたちひとりひとりを新たに生まれさせてくださいます。生きる勇気と希望を与えてくださるのです。

日本基督教団郡山教会
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