5月14日  復活節第6主日(永眠者記念・母の日)礼拝
聖 書  ヨハネの黙示録21:1-4
説 教  「涙を拭ってくださるお方」 小峰 擁 牧師
讃美歌  484 493 385
 
説教要旨
きょうは母の日であり、そして天にある兄弟姉妹たちのお名前を覚えて祈る永眠者記念式です。どちらの日も、わたしたちにとってとても大切な大切な記念の日でありましょう。
やはり母の日を迎えますと、どうしてもわたしは天にある母のことを思い出してしまいます。もちろん父のこともそうなのですが、ともかく母という存在がなかったらこのわたしはこの世に生まれてくることができなかったのだと愛なる神さまに感謝し、そして母にもつくづく思いがいっぱいになります。ともかく母は幼いわたしのことをかばい、守ってくれたのです。それからもずっと心配し続けてくれました。きっと父親もそうだったのかもしれませんが、きっと母親はもっと切実にそうしてくれたのだと思います。父親より、母親の方が情の深さにおいてどうも優っていたのかもしれません。もしかすると間違っているかもしれませんがどうも勝手にそのように思ってしまうのです。「まぼろしのかげをおいて」の母について歌った讃美歌などを歌いますとなおいっそうそう思ってしまうのです。
「まぼろしの影を追いて うき世にさまよい、 うつろぅ花にさそわれゆく 汝(な)が身のはかなさ。 春は軒(のき)の雨、 秋は庭の露(つゆ)、 母はなみだ乾(かわ)くまなく、 祈ると知らずや。」(1954年版『讃美歌』510番1節)。まことにそうなのです。
そして天にあるたくさんの兄弟姉妹たちのことをわたしたちはなつかしく思い出します。いつかまた天のみ国にて再びお会いできるその日を祈りつつ待っておられる方も多いかと思われます。わたしも天にある父や母や、そしてたくさんの兄弟姉妹たち、信仰の友のことがなつかしく思い出されてなりません。わたしたちの外側のことはともかく、心のなかで泣いた日のことが忘れられません。おそらく、たくさんの人がこのような心でいっぱいなのではないでしょうか。
さて、聖書はたくさんの涙について見て知っていますし、人の涙について語っています。イエスさまもたくさん涙を流されます。主イエスさまこそ、たくさんの涙を流されます。このことがとてもわたしたちの心を慰めるのです。わたしたちの傷ついた心も慰められますし、わたしたちにとってとても心ひかれますし、忘れることができません。イエスさまは泣かれたのだ、わたしたちのために泣いてくださった、泣いてくださるのです。なんていいんだろう。とてもいいな。ありがたいなと思ってしまうのです。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(ヨハネの黙示録21:3,4)
そうです。王なる僕(しもべ)イエス・キリスト。僕(しもべ)なる王イエス・キリストです。「王座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、 命の水の泉へ導き、 神が彼らの目から涙をことごとく ぬぐわれるからである」(同上7:17)。小羊イエス・キリスト。このお方がわたしたちの目の涙をことごとく拭い取ってくださいます。感謝であります。
わたしたちも自分たちの罪を悔い改め天からの権威をもったこのお方、主イエス・キリストの十字架のみ前にひざまずかざるをえません。わたしたちの思い煩いのすべてをこのお方にお委ねしましょう。永遠の命の源であるこのお方に慰められ希望と力をいただきましょう。イエスさまと共に歩んでまいりましょう。主が御霊をもって導いてくださいます。

日本基督教団郡山教会
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